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昭和30年07月21日 008/015] 22 - 参 - 社会労働委員会 - 29号 あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法の一部を改正する法律案指圧に関する審議

昭和30年07月21日 008/015] 22 - 参 - 社会労働委員会 - 29号 あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法の一部を改正する法律案指圧に関する審議

○委員長(小林英三君) それでは休憩前に引き統きまして委員会を開きます。
 あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本法案審議上の参考に資しますがために、委員会の決定に基きまして、参考人の出席を願っております。これより参考人の方々からの意見を徴することにいたしますが、この議会に委員会を代表いたしまして参考人の諸君に一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人各位には御多忙のところ御出席下さいまして、まことにありがとうございます。今回政府から提出されましたあん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法の一部を改正する法律案は、いわゆる医業類似行為を業とする者がその業務を行うことができる期間を延長いたし、かつ、あんまの業務に指圧が含まれることとする等、直接間接に業務に重大な関係を有する問題と認めまして、当委員会は特にこれらの方々及び学識経験者の方々ら御意見を聴取いたしまして、審査上の参考に資したいと存ずるのであります。何とぞ当委員会の意のあるところを十分御了承願いまして、御意見の御発表を下さいますようにお願いいたします。
 次に、意見発表を願う事項につきましては、先刻文書をもちまして御通知しておきましたが、時間の関係もございますから、一人当り十五分以内で御発表をお願いいたしたいと存じます。いまするので、これに対しましてもお答えを願いたいと思います。
 なお、委員の質問に対しましてお答え願いまするときには、あらかじめ委員長に発言許可を求めていただきたいと思います。
 この際委員の方々にお諮りいたしますが、時間の関係もございまするので、参考人の意見発表が全部終了いたしましてから、御質疑を願いたいと思うのでありまするが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(小林英三君) 御異議がないと認めます。
 なお、参考人の日本医師会会長の黒沢潤三君は都合によりまして出席いたしかねるために、医師会からかわりといたしまして、日本医師会の常任理事の志村國作君から参考意見を徴することにいたしたいと思います。御了承願いたいと思います。
 では日本医師会常任理事志村國作君から意見を聴取したいと思います。
○参考人(志村國作君) 第一の医療行為と医業類似行為との関係ということでありまするが、たとえば電気治療にいたしましたも、あるいはいろいろなことにいたしましても、その要領が違うと思います。たとえば電気を使うにしても、医者の方でありますと、十分な電気の知識もあるし、それからまた基礎医学の知識もありまするので、十分ないわゆる有効適切な療法ができる。医業類似行為者の方は、それまでの学識が不足、といっては語弊があるかしれませんが、医者ほどでないのいうところに疑義があると考えております。
 あんまと指圧との関係でございまするが、あんまの中に指圧は私どもとしては含まれておる。あんまは指圧をし、もみ、さすり、たたき、いろいろな技術があんまの中には含まれております。従ってその中の指圧というものはあんま、マッサージの一部分の行為と、こう了解しております。
 第三の指圧とその他の手技及び刺激療法との関係、この御質問の意味がよくわかりません。指圧と手技、指圧もやはり手技なんでありますが、そのほかに、たとえばなてるとか押すとか、いろいろな手抜をまぜるのか。あるいは刺激療法、どういう刺激医法であるかということが明記してありませんので、この点についてはこれだけの文章ではお答えができません。
 第四の医業類似行為のうちの鉄灸、あんま、マッサージの部におきましては、一応学校におきまして基礎医学その他治療医学の一部を修得して、そうして不完全ながら一応医学の立場において治療がされておる。そうして営業されておるというのが現状ではないかと考えております。
 第五につきましてはあん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法の公布以来、昭和三十年十二月三十一日までの医業類似行為業の暫存期間をいかに解釈したかということにつきましては、おそらく二十二年十二月に一応終止符を打つはずであったのでありましょうが、この八年間をほかの一応厚生省で規定されている規格に合うような準備期間とわれわれは考えております。従ってこの八年間に転業するなり、あるいはほかの免許をとるなり、そういうことをとる期間だとわれわれは了解しております。
 第六の、改正による三年の延長期間内において、指圧を除く、医業類似行為業者は、あんま師試験の受験科目及び技能について修得し得るか、少くとも日本医師会といたしましては、医業類似行為にいたしましても、やはり医学的な知識を十分に身につけていただいて、そうしてその医学的知識の上にマッサージなり、いろいろな技術をやっていただきたい。現在までの指圧その他が正規の教育を受けておらないというところに難点があるのではないか。そこで三年の間に、そういういわゆる基礎医学的な、あるいはまた治療医学的な学識を得るかといいますれば、何にも知らない人でも二年間で修得しておるのでありますから、多少手技を知っておいでになる方ならば、一年、半年で十分その基礎医学的な技術を修得し得ると考えております。
 それから第七の医業類似行為の業態は、医学上の理由から禁止すべきであるか、あるいは社会的に認める必要があるか、この問題は重大な問題でございまして、われわれ日本医師会の者といたしましては、少くとも現在厚生省で認められておりまする鍼、炭、あんま、マッサージの部類以外の、たとえば電気治療であるとか光線療法であるとかあるいはその他のいろいろな治療というものは、日本医師会の立場から申しまして、あるいはまた国民医療の点から言いまして、よほど考慮をしていただきたい。どういう意味かと申しますると、決して電気治療あるいはまた光線療法というものが不必要だということではないのであります。われわれといたしましても、補助者としてこういうものが非常にほしいのであります。いわゆる医師の監督のもとに電気治療をするとかあるいは光線療法をやるというようなことは、そういう業者は非常に望ましいと考えております。けれども、ちょうどマッサージ師法みたいに、いわゆるほんとうに医学的に有効適切な分量を患者に使おうとするのならば相当の危険が伴う、相当り強い分量を使用しなければならない。従って医者の指導のもとに行うのならば非常に有効でありまするけれども、個人的にただ医者の手から離れて自分で一人でやるという点におきましては、国民医療上相当重大なる問題になるのじゃないか。あるいはまた技師法のような場合でも、たとえば光線療法が独立でできるということになりますると、レントゲンの技術者も独立でできるということになります。レントゲンの技術者が独立でレントゲン治療をするということは非常に危険である。生命的な危険もあるし、いろいろの危険があると同時に、やはり電気治療、光線療法におきましても、ほんと5に有効適切に使用するとするならば、そこにやはり危険が伴うので、どこまでも医者の監督のもとに行われるべきである。従って自由営業ということについては相当考慮すべき問題だと、こう考えております。
 以上であります。
○委員長(小林英三君) ありがとうございました。
 次は、東京医科大学名誉教授の藤井尚久君にお願いいたします。
○参考人(藤井尚久君) ただいま前参考人から申されましたことと重複するところは抜きます。
 医療行為と医業類似行為との関係でありますが、先ほども申し上げられましたことを補足しまするというと、医療行為は診断に基いた治療でありまして、いわゆる一つの体系を持ったものであります。それから目下問題になっておりまする二百十七号を中心としました、関連しました医業類似行為というのは、この診断ということが重視されていないものであります。これが一つ大きな違いであることを御了承願いたいのであります。
 それから先ほど前参考人志村さんがおっしゃったように、医者の専門知識あるいは医者の監督とおっしゃいましたが、その医者というものは、現在は医療の上に上下がないように、すなわち医学教育を大学一点張りにしておるのであります。かくしまして六・三の義務教育を経て、三高等学校、二・四・一-一はインターンであります。かく十年の特殊教育を受けておるわけであります。かつそれでやっとこ医師の国家試験を通って医者になり得る、こういう教養を得ておるということをどうかお忘れなくしていただきたいのであります。かかるゆえに医者の指導であるとか医者の監督であるとかいうことが出るわけであります。この医業類似行為には、そういうことがないのでありまして、ただ患者の苦しみだとかあるいは患者の違和のために求めるという、ここに違いがあります。かつまた医業類似行為ということは、現在の医師法並びに医療法には通用しない文句であります。これは医師法違反者を処罰するための便宜上の名前かとも私は思っているのであります。
 それから次が、あんまと指圧との関係であります。これが非常にむずかしいのでありまして、あんまは在来よくわかっております。これは古いものでありますからよくわかっておりますが、ここに指圧とは何ぞやという問題になるのであります。しかして私はここに指圧というものを、マッサージを含むあんまと別個のもので、手をもって操作をする業態を総称するとかりに言います。何となれば、これではいろいろな流派が種々雑多であります。この種々雑多は、これは悪いことを言いますならば、社会がほうっておいたからこうなったのであります。これがただいまのような法律ができまして、規制下にあるならばこういう乱立は起さなかったのであります。しかしながら自由屈出制度であったがためにいろいろな流派を生んだのであります。これがために、この二十二年に二百十七号が出ますときに、実に収拾すべからざる多種多様な変ちくりんなものになったのは、そこにあると私は思っております。と申しますのは、私が昭和二十四年、二十五年と厚生省から嘱託を受けまして、いわゆる医業類似行為に属しまするこの指圧整体というものの研究調査を実は東京医科大学を実験の場といたしまして研究した経験からそう言うのであります。これは種々雑多と申し上げましたのは、はなはだ語弊が的位置におられる方の技術と、その人たちが唱えられる議論とを見ますると、これはいわゆるアメリカで言うておりまするカイロプラチック、オステオパシー、あるいはスポソジロセラピート、あるいはドイツで言うナッールテラヒーというものに通ずるものが多々あるのであります。あんまの方は、御存じかもしれませんが、まずもみほぐすという通俗の言葉がもっとも簡単にこれを説明すると思います。まずからだの中枢から末梢に向って、すなわち動脈の経過に従ってこれを操作する、もちらんあんまの中に入っております。二百十七号に入っておりますマッサージは、ちょうどそれとあべこべに静脈あるいはリンパ行に準じてやっております。いずれにしましても、中枢から末梢、末梢から中枢といいますけれども、いわゆる流体、流れる血液、これに関しております。しかしながら指圧と号しまする総称的なものを大体見ますると、これは身体の外表に圧を加えまして、その圧の反射を求めております。しかしながら場合によりますと、反射療法と唱えておるものもあるのであります。ここがあんま、マッサージと指圧の大きな違いだと思うのであります。また最も進んだ指圧業者に至りますると、脳脊髄、皮膚反射あるいは皮膚内臓反射、すなわち自律神経、ホルモン、こういうところに観点を置いてやっておる人もおるのであります。
 それで二の方は終りまして、三は指圧とその他の手抜及び刺激療法の関係であります。これはその他の手技と書いてありますのは、前参考人も言われました通り、非常に私ども意味がわからないのであります。いわゆるただいま申し上げました医業類似行為の他の電気、光線、温熱刺激をいうのであるか、あるいは私の言いまする、今業を行なっておられまする指圧師のほかのいわゆるこのごろはやりの新興宗教的なお手さわりだとか、いろいろなものがありましょう、ああいうものであるかそれはどうも私わかりませんが、いずれにいたしましてもそれらをあわせて言いますると、まず手でやりまするが、電気、光線はまた手技及び刺激でありますから、これは電気の方へ光線が入るのかもしれませんが、指圧はかくのごとく皮膚に適当な刺激を与えまして、その刺激に応ずる反射を利用する、そうして悩脊髄、すなわち自律神経の方を調整するという建前からいいまするというと、いろいろな種類の刺激痛法の中に包含さるべきものと私は思います。
 それから第四番目の医業類似行為の修得方法及び営業の現況、これは私は遺憾ながら医学教育者でありまして、業者でありませんから知りません。ただ昭和二十四年、五年の厚生省の嘱託を受けましてから、これは都内及び私の旅行する範囲内において相当調べたつもりであります。ある程度はその数字が厚生省に行っておるはずであります。大体忌憚なく申し上げまするというと、今問題になっておりまするところの、いわゆる医業類似行為者の修得方法は、古い――思い切って言いましようか、端的にいえば、徒弟制度にやや近いものと私は思います。これは私の感じであります。何々学院、何々学校、何々講習会というようなものがありまするけれども、いまだもってわれわれ医学教育に用いているものとはほど遠いものであります。それから営業の現況であます。これは相当はやっている人があります。それはこういうわけであります。これはあとから申し上げますることにも触れまするが、まず術を受けまするというと、われわれが非常に気持よくなります。すなわち爽快を感ずるというその効果を買われるのであります。かるがゆえに、疲れたからもんでもらおう、押してもらおうと、こうなります。従ってはやるのであります。おまけに何らの規制もなく乱立を見のがしてありまする現況でありますから、続々ともぐりができておるのであります。私らの住宅の近辺にもそのもぐりたるや実に数が多いのであります。でありまするから、われわれ社会民衆の保健衛生の上においても、これは一日も早く規制下に置かなくてはならないと、こう私は思います。
 それから五番目であります。これはいわゆる法律二百十七号が出ましてから、今日までの間八年間あります。これをどう解釈するかでありまするが、この解釈の方法は見ようによっては二様にされます。ある人は二十四年、二十五年と百万ですかの金を出して調査をしたではないか、悪いのならば一日も早くたたきこわせばいいのに、今までほうっておくのは怠慢だということを私は聞くことがあります。しかし、私から言いますというと、私の――二年間及びその後少し続けましたけれども、調査研究に当りましたその実績から言いますというと、この成績はもってにわかに断じがたいものであります。何となれば、こういうものは長い目で見なければなりません。またこの施術だけのみでその効果の判断はむずかしいのであります。われわれは入院患者にやらせましたけれども、この術だけで入院患者を入院料を取ってやるわけにいきませんですよ。やはりいろいろなことをやるついでにやるだけの話でありますから、この効果はこうだというふうなりっぱなデータを出すことはできません。でありまするから、まあ二年くらいもらっても私はとてもできなかったというような結論になるわけであります。
 それからいま一つは、在来長く乱立したと言いましたけれども、乱立族生の状態で、長くいわば黙許の状態にあったものでありまするから、すなわちひどく社会的な罪悪を残しておりませんから、これまたその業権を奪うことでありますから、大事な生活権に入りますから、これまたしばらくゆっくり見るということもどうかと、こういう親心から言うならば、この八年間は全くなまくらで、怠惰で過ごしたということは少し酷でないかとも思うのであります。
 それから第六番目の、改正によりまする二百十七号で、ようやくいわゆる指圧なるものが公認となりました。が他のものは三年間の猶予期間をおいて、転業ないしは廃業の準備をしろというわけでありましょうが、ここで私が申し上げまするのは、三年間で、一番の教育課程の短かい六・三・二であります。あんまの方の六・三・二に転業し得るかどうかという問題でありますが、私は本人の努力が相当ありましたならばできるものと感じます。何となれば、ただいまの六・三制で行きますれば、六・三・二であんま、マッサージが受験資格ができるのでありますから、旧教育制度は義務教育は六年であります。従ってそれに一年プラスしてあります。六・三・二の三年の中学校はありませんけれども、しかしながら一年ありまするから、これは本人の努力と、あるいは当局者の親心で多少の補習教育を加えましたならばできる可能性があると私は思います。
 それから医業類似行為の業態は、医学上の理由から禁止すべきであるが、あるいはこれは社会的にこれを認める必要があるかという問題であります。これは非常に大きな問題でありまして、先般われわれ調査団、研究団におきましても、この問題を論じかかったことがありまするが、これははなはだ大きい問題であります。医師法、医療法、これだけで満足なものか――なるほどこれだけで満足にするには、先ほど志村さんがおっしゃいましたように、非常に医者の任務が多くなります。従って医療補助の要員が必要になって参ります。この補助をしまする要員の養成機関は、御存じの通りただいま短期大学制で、もうすでに学校設立ができております。でありまするから、これも一つ念願に置いていただきますと、そういう補助学校という短期大学があれば、それを使いましたならば、われわれ、より有効にかつまたより広く、そのいわゆる上下のない民主的な医療が行われるであろうかと思うのであります。そうしますると、これが短期大学でありまするから、ただいまの、ほかの医業類似行為の方が六・三四であります。それよりか少し程度が高くなりまするから、国民医療に対する水準は少し上るのであります。少し文化が上るのであります。
 そんなことにいたしまして、次はこの法律の一番大事なところは、いわゆる二百十七号に書いてありまするいわゆる医業類似行為を、昭和三十三年をもって禁止すると、しかしながら指圧だけは別、だということになりまして、それがいわゆるあんまの中に入ります。「あん摩(マッサージを含む。)」というやつを、「「及び指圧」を加える。」と改正なすったわけであります。これはあんま、マッサージ、指圧ともにこれは手を用いまする操法であります。あやつる方法であります。私はこれをあえて療法と言いたくないのであります操法であります。何となれば、治療は診断のもとに立つ、医学的立場から立たなければならぬものでありますから、私はこれを操法というのであります。また幸いにもこの法律におきましても療法とか療術という言葉は用いてないと私は思うのでありまするが、この操法というふうに東西のいろいろなものを総合するというところに一段の進歩があると思います。今またこの二百十七号にありますものの一部を助けて下さるというその行政方面の親心も感謝されるのであります。しかしながら私がここに申し上げたいことは、あんま、マッサージ、指圧というものはその歴史といい、かつまた彼らの行なっておりまする技術上の方法といい、また彼らの唱えまする理論といい、これおのずから違うのであります。でありまするから、私はここに思い切ってこのあん摩カッコというものを、手を用いる、あるいは手の技術、手のわざ、手抜操法としまして「あん摩、マッサージ、指圧を加う」というふうに改正して下さることを私は切にお願いするのであります。かくすることによりまして、いわゆる日本的手技療法としまして、現代の東洋的色彩のあるあんま、西洋的基盤に立ちますマッサージ、ないしはアメリカ、ドイツ式の方法を持っております指圧というものを一元に取り扱うことができると思うのであります。かくのごとくしますというと、古い考えと新しい考えとまぜ、かつまた今までの感情的の対立、そういった封建的思想これもなくして、いかにも朗らかな大同集結の民主的な気持になろうかと私は思うのであります。
 以上であります。
○委員長(小林英三君) いや、ありがとうございました。
 次は、元横浜医科大学講師の檜物一三君にお願いいたします。

○参考人(檜物一三君) 御指名によりましてお答えいたします。今大体志村先輩と、それから藤井両先輩の御意見によりまして大体の重要なるところは尽きておると思います。これに関しまして尽きておりますが、私はやはり昭和二十四年、二十五年の厚生省の嘱託によりまして、横浜医科大学の物療科におりまして調査しました事項を中心としまして、これによりまして一つの御意見を申し上げたいと思うのであります。
 この一番の問題でありますが、この医療行為はこれは物理療法、これはわかり切ったことでありますが、医業類似行為のことは、これは昭和五年の警視庁令によります届出制によりましたものと解釈いたします。そうしますと今両先輩のおっしゃいましたように、このものは物理療法に比べまして、まず機械を用いるものはその機械の容量が非常に小さい。あるいは操作が非常に簡単である。また言葉をかえていいますと、その選ばれたるものの中には非常に危険性が少い。またその治療効果の見るべきものが多々あるということが言えます。しかしながらこれらの医業類似行為というものは、もともと医者のやるのとは違いますから、今お話がありましたごとく、まず診断を対象としないでただその時の症状を対象といたしております。よく診断をしてはいけない。なるほど診断というものは医師以外のものはしておりませんが、その医業類似行為者の人たちは、これは診断をやっておりませんです。その症状によりましてこれを判断いたしております。それによりまして症状を軽減する方法をとっております。これが医業類似法と医療行為のおもなる差別と思います。
 その次のあんまと指圧の関係でありますが、これも今藤井先輩から非常に詳細にお話がありましたので、これも
 一言も差しはさむ余地もないと思います。
 それからこの三番目の問題でありますが、指圧とその他の手技と、これも今両先輩が申されましたごとく、私もこの書類を受けましたときに、意味が非常に不明瞭である、いろいろな意味に解釈できるということを思いましたけれども、まずこれは指圧以外の手技というふうに解釈して、指圧を除いたそのほかの手技療法というふうに解釈いたしております。たとえばオステオパシー、カイロプラクチック、スポンジロセラピート、そういったものを総称するものではなかろうかと思います。それから刺激療法にいたしましても、療法の名前はちょっと申し上げかねますが、小針などでちょっと刺激したりあるいは温熱を加えて刺激するといったような療法をさすと思っております。これらの療法におきましても、今二と三との関係におきましては、藤井先輩が申されましたので、私どもはこれに対して一言も差しはさむ余地はないと思います。
 それから第四番目の問題でございますが、実業類似行為者の修得方法でございますが、これは在来は皆様の御承知のように、決して一定の課程を経ておりません。まあいわゆる昔の徒弟式という方式によりまして修得しているのが多うございます。最近になりましてこの問題がやややかましく取り上げられましてから、相当程度の高い講習会を開きまして、そしてこれを修得しているのを多々見受けます。これが最近におきますところの医業類似行為者の修得方法であると思います。営業の現況に関しましては、私はよく存じませんが、これは一流の人になりますというと、なかなか門前市をなしているようでありますが、一流にあらざる人は生活をようやくささえる程度であるということに承わっております。
 それから第五番目の問題でございますが、これは私どもは二様に解釈しております。第一番目は、この八年間の期間において転業し得る者は転業しろという政府の方針をまずそのまま受け取りたいと思います。もう一つの解釈の方法といたしましては、しかしながらこの全部の医業類似行為者は一定の学校を出た者でありませんから、おのおのレベルは異にしております。また、従って技術の差があります。そういう関係からしまして全部が一様に転業するということは実際問題といたしまして非常に困難な問題だと思います。ここにおきまして、その当時の政府の委員の方が何らかの言明をなさったことがあると思います。従ってこの言明がありますれば、医業類似行為者で転業のできない方はこれを唯一の頼みの綱として、これに何とかしてもらえるのじゃなかろうかという希望を持つのではないかと思います。私どもはこの二様の方法に解釈いたしております。
 それから第六番目の問題でありますが、この三年間の延長期間内において転業できるかどうかという問題でありますが、今も一部ちょっと触れましたが、これは若い人なら、あるいは意思の強固な方はこれは転業ができると思います。しかしながら相当の年輩に達して技術はなかなか達者であるが、試験を受けるにはなかなかどうも学問的には暗記力もよくない、薄いと、まだものを理解するにも困難であるというような方におきましては、これは非常に困難な問題であると思います。ここにおきまして、この困難な転業のできる方は非常にけっこうでありますが、転業のできない方はこれをいかにするかということが、これは一つ政府の要路の方におきまして、十分考慮していただきたい問題と思います。
 第七番目の問題でありますが、この医療類似行為は医学上の理由から禁止すべきであるかという問題でありますが、これも医師の養成しますことから考えますというと、御承知のごとく医学の分野が非常に多方面にわたりますという、医師の自己一人のみにおきまして全部の患者を治療するということはなかなか困難であります。また一つの専門におきましても、たとえば私どものやっております医学物理療法におきましても、自分一人で電気治療もできませんし、光線療法もできませんし、マッサージも、これもできませんし、また刺激療法もできません。どうしても物療補助員というのもを使いまして、この補助員と共同しまして治療をやっております。ただ医師はその場合に患者を信頼いたしまして、そうしてこの人にはこういう治療をやってくれ、この人は電気治療をやってくれ、この人は光線治療でよろしい、これはマッサージでよろしいという一つの指示を与えます。そうしてこれをやりまず場合には、そういうふうな人の養成というのもある程度必要であろうかと思います。ただその人を養成して下さるとしますれば、非常に高度の、程度の高いものを養成していただきたいと思います。今日においては、昔と異なりまして、医学教育は専門学校がなくなりまして、全部大学教育になっている状況でございますから、この医学――かりに物療補助者というものを作るとしましても、少くとも昔の医学専門学校程度ぐらいの高度のものにいたしていただけたら、はなはだけっこうではなかろうかと思います。ただここにおきまして問題は、あまりそういった学校をたくさん作りましたときには、その卒業生のはけ口がない、学校、大きい相当の病院におきましても需要の限度があります。従ってあまり大ぜいの人数もとれないということがあります。
 次に、本論に入りますが、こういう理由から禁止すべきであるかどうかということも、これも非常に重要な問題であります。まず今日におきまして、この医療類似行為の一流の人の現況を眺めてみますれば、まず共通した点があげられます。第一番目には、その人たちは非常に優秀な技術を持っております。第二番目には、診断はしないが病気の状況判断が非常に巧みであります。第三番目には、非常に親切丁寧であります。それからもっと大切なることは、まず疲労を非常にいやしてくれます。また同時にある種の、たとえば、これは病名を目すことはできませんが、血圧が高いとかあるいは腰が痛いとか頭が痛いとかいうような症候がありました場合に、これをある程度治療をしまして、その症候を非常に軽くしてくれます。こういうことは現在厳として行われております。それからもう一つ大切な事柄は、非常にはやっている人は患者から患者と、次から次の紹介があります。自分が宣伝するのでなくて患者さんから患者さんというふうに次から次に紹介されまして、そうして治療を頼まれて商売している状況が多々見られます。こういうことから考えますというと、まずこの医療類似行為の中におきましても、有効無害であるものは、これは社会的に禁止すべきでないと私は思います。これは家庭療法といたしまして、何らかの方式においてこれを残していただきたいと私は考えております。
 以上をもちまして私の公述を終ります。
○委員長(小林英三君) 大へんありがとうございました。
 次は、東京教育大学教育学部特設教員養成部の講師芹澤勝助君にお願いいたします。

○参考人(芹澤勝助君) すでに医師の先生方から、いろいろ有益な御意見が開陳されましたので、第一の医療行為と医療類似行為との関係、これにつきましては、すでに医師の先生方の御意見に全く同感でありまして、私は第二のあんまと指圧との関係ということについて少し意見を述べさしていただきたいと思います。
 ただいま医師の先生方よりいろいろ御意見が出たようでございますが、私はただいま東京教育大学の教育学部で盲学校の職業教育、ことに特殊なあんま、はり、きゅうの教員養成を担当いたしております。また同時にこのマッサージに関する基本的な問題を、私の大学の実験室及び東大第二生理学教室におきまして、杉靖三郎教授の指導のもとで、これを実験をいたしております。さらに文部省は昭和二十七年以降産業教育研究の一環として、マッサージの科学的研究を各ブロックを代表する盲学校と、医科大学との共同のもとに研究を進めております。これらの資料をもとにいたしまして、基本的な問題から少し説明をさせていただきたいと考えております。
 大体あんまとマッサージとの関係でございますが、今こちらへ持って参りました人形は、右の方が大体中国古来の経路、経穴を現わした人形でございます。あんまというものは漢方医学の一科でございまして、これは十四の経絡の流れに従ってこれをもんで行くのであります。さて十四の経絡五臓六脇を養うところの栄衛の気血がこれを流れるのである、この気血の滞りを除くことが、あんまの一番重点の効果である、こういう観点から行われるのでありますが、特にあんまで重点を置きますのは、この背中のまっすぐまん中を通る経路とおなかのまん中の経路に重点を置きまして、これを人間の生命力のもととしてここに重点的に手技を行うのであります。この点につきましては今日指圧治療と申しまするものが、主として脊柱の矯正あるいは筋肉の硬化をとくというような理論の上から言うと、東西医学という観点の相違はあっても軌を同じにする一つの療術なのでありまして、あんまは単に疲労回復や慰安、娯楽等の施術ではないのであります。マッサージはすでに御存じの通り西洋医学の基礎の上に立った療術であります。このマッサージの基礎、基本手技と申しますのは六つの手技から成り立つのでありまして、なでる、もむ、たたく、押す、ふるわす、これに加えまして間歇圧迫と申しまして、押しつつもんでいく手技があるのであります。この六つの手技を私どもはマッサージ、カイモグラフという生理学実験用のキモグラフィオンを用いましてこの手技を分析しますと六つの異なった曲線が出てくるのであります。このカーブは、要するにマッサージというものはなでても押しても、もんでもたたいても一点を圧迫するものであるという結論になるのであります。ただ一点を圧迫するものがリズミカルに断続的にいろいろな形を変えて圧迫という形で身体に影響するのであります。そういたしますとこの圧迫の中でいろいろな方法がございます。マッサージの基本六手技の圧迫法の中には、栂指圧迫あるいは二指圧迫、四指圧迫あるいはまた手掌圧迫という圧迫の型でございますが、指圧の治療で申しますと、これを指圧あるいは栂指圧、二指圧と言うよ5でありますが、これは指圧の関係の先生方があんまやマッサージで圧迫するのと指圧で圧迫するのとはその根本理念と手法と生理的作用が違うというのでありますが、これはあらゆる場合の圧迫を、キモグラフィオンを通って分析したカーブであります。これ以外にどういう方が分析し、どういう方が圧迫をしても、この五つの変化しか出てこないのであります。これはいろいろな形においてとった基本手技であります。
 さて、この基本手技がどういうような生理的な働きを持つかと申しますと、圧迫というものは、私どもが実際に圧迫をしたときの筋電図をとりますと、筋肉の興奮性というものに対しましては、押すという場合には必ず抑制という結果が出てくるのでありまして、時間的にごく短かくとも、長く押しても、これは働きを押えるという結果に出てくるのであります。按撫法という、なでるという結果は、これは高進――働きを高めるという結果に出てくるのであります。こういう観点から申しますと、指圧の関係の先生方があんまやマッサージで圧迫をするのは、神経の麻痺などのときに強く押すのだというのでありますが、あんまやマッサージでは、決して圧迫をするのは神経が麻痺しているというような、働きが鈍っているときに使うのではありません。働きが高ぶった神経痛やけいれんのときに、押える目的で使うのであります。この辺、果して指圧の先生方がマッサージの圧迫というものをどういうふうに理解されておられるかほんとうに自分たちが押すという手技の生理的な働きというものを実験の裏づけの上に立って実証しておられるか、はなはだ理解に苦しむところがあるのであります。
 さて、このマッサージとあんまの相違点でありますが、明治の中期、マッサージが日本に輸入されるまでは、あんまというものは、漢方一点張りの経絡の施術でございました。ところが明治の中期に入りましてから、あんまの理論と技術の中に西洋医学のマッサージの学理と技術が統合されました。今日ではここに並べました二体の経穴人形と療点人形でございますが、この左側の十四経の経絡の上に現われた皮膚のいろいろな過敏点や、あるいは硬結や圧点と、右側の、現代医学の生理学にいうレフレットペン・セオリー、連関痛の学説の上に立ったいろいろな反応点であります。この反応点がうまく統合されて、あんまとマッサージというのは、単一理の上においてまた技術の上において、全く実際面では分離し得ない過程に来ているのであります。
 さて、あんまとマッサージというものの、今度は治効の原理でありますが、あんまとかマッサージと申しますのは、一つは、循環系を通して効果を現わすということであります。マッサージを行いますと、そのマッサージによって血液循環がよくなる。従って老廃物は排除される。その部の栄養は高まる。働きは非常に盛んになるということが、マッサージの基礎であります。と同時に、先ほど先生方からお話がありました、私どもマッサージというものが、やはり内臓に病気があると体の表面、ことに皮膚や筋肉や、あるいはまた、そのほかの場所に圧痛とか硬結とか、あるいはまた、そのほかの痛みとかいうものが出てくる。この痛みや過敏や硬結などをとることによって、内臓のいろいろな病気もまたなおすことができるという一つの理論の上に立った治療なのであります。で、これは必ずしも指圧の根本的な治効原理ではなく、マッサージそのものの、またはり、きゅうそのものの今日よって立つ理論的根拠なのであります。こういう観点に立ちまして、私どもは今日内臓知覚反射、あるいは内臓運動反射、内臓栄養反射というような一連の連関学説の上に立って治療を行いますし、また神経液性相関という、先ほど圧自律神経反射というものを指圧は利用するのであるという先生の御意見がございましたが、これをそのままマッサージの圧迫法の中に取り入れておるのであります。この二体の人形は、文部・厚生共同省令によってあんま師の養成学校が必ず教材として、教具として持たねばならない必須の人形であります。そうしてこの人形の上に立って、私どもは漢方的なあんまの学理、あるいははり、きゅう、さらにマッサージの学理と技術、さらにこれらの諸点を対象とした治療の内容まで勉強していくのであります。
 さて最後に、この二つの相違でありますが、指圧が、大体今日言っておられますことは、カイロプラチックやオステオパシーのように、すべてまず脊柱の変形を矯正するということが先決で、これを直すことによって、この背骨の間から出る神経の末端組織の働きをなおすという考え方ではなくて、まず第一に、どこかの筋肉にかたい硬化したところが出てくる。この硬化したところをやわらげれば、右と左の筋肉のアンバランスがとれて、背骨もまっすぐしてくる。そういうことによって、背骨の間から出る神経末端の働きも元に戻る、こういう理論のようであります。としますと、まず第一に、筋肉の硬化を押してとるということであるならば、マッサージはとにかく皮膚にも、神経にも、筋肉にも効果があるのでありますが、特に筋肉に対しては、なで、もみ、押すというような複合手技を行うことによって特に効果があるのであります。こういう観点に私は立ちまして、指圧はマッサージの治療の主眼とするものに一致し、しかも、その技術の面において、六つの手技の中の圧迫法を取り上げたものである。従って指圧は現段階においては、マッサージ及びあんまの一部である、こういうふうに断定する次第であります。
 第三の、指圧とその他の手技及び刺戟療法との関係でありますが、これは指圧とその他の手技とは、カイロプラチック、オステオパシー、スポソジロセラピート等の手技を申すようであります。刺戟療法とは、ミツバチ療法とか、あるいはそのほか、はり類似のいろいろな治療法があるようでありますが、これをさすもののようでありますが、私どもはこれらのはりに類似するような刺戟療法は、ぜひ禁止してほしいし、また指圧そのほかの手技、カイロプラチック、オステオパシーというものは、一つ進めば整形外科の領域に入るべき範疇のものではないかと、こう考えるのであります。脊柱の転位や副脱臼というものは、一歩進めば整形外科医の取り扱うべきことであって、医療類似行為として取り扱うべきことではない、こう考えるのであります。
 第四は医療類似行為の修得方法でありますが、これは前の医師の先生方からすでに述べられておりますが、ただ営業の現状であります。指圧と申しまして、この道のリーダーになるような先生方は、実際に指圧だけを中心としてその業を営んでおるのでありますが、ごく地方の末端に参りますと、指圧の届出だけを持った業者の方々の中には、時には押すだけでなくして、あるいはもみ、あるいはなでるというような、あんま、マッサージにまぎらわしいような治療を行う方々があるやに聞いております。こういう観点から私どもは、このあんま、マッサージに類似の指圧というものは、ぜひ、あんま、あるいはマッサージの範疇に入れて処理していただきたいと願うのであります。
 五はあんま、はり、きゅう、柔道整復師の今日までの医業類似行為の暫存八年間はいかに解釈したかでありますが、私どもはこれは転廃業する期間が八年間である、こういうふうに考えております。したがって昭和三十年一二月三十一日までにすでにあんま師試験なりをもって転廃業すべきが正しいのではなかったかと、こういうふうに断定いたします。
 次の六であります。改正による三年の延長期間にあんま師試験の科目が受けられるまでになるかどうかという問題であります。これはあんまの課程は六・三の上に二年であります。従って二年の課程があればりっぱにあんま師試験が受験できのであります。その点におきまして、むしろ私は三年延長でなくて二年程度の延長でも十分事足りるのではないかとも考える一人であります。なお最後の、医業類似行為の業態は医学上の理由から禁止すべきであるか、あるいは社会的に認める必要があるかという点でありますが、私は将来のあり方といたしましては、先ほど医師の先生からありました通り、この医業類似行為は医療体系の中に入って医療の補助者としていくことが望ましい形態であると考える一人であります。しかし過渡的にこれはいろいろな問題が付属して参りまして、独立自営の営業が不可能であるということは重大な問題であります。こういう観点で私の将来の夢である理想として、私どももこういう医療体系の中に入りたいということの希望だけ申すわけであります。最後に、私は今度この国会に提案されました政府の原案につきまして、私どもは一応指圧というものはマッサージの一部であって、これを明記する必要はないと考えていたのでありますか、政府のいろいろな趣旨の説明によりますと、マッサージの、あるいはあんまの一部として指圧は認める。しかし昭和五年以降において指圧というものが社会通念としてすでに一般にはあんまやマッサージと別のもののように考えられている現状において、入念規定としてあらためて第一条の中に加えQのであるというお答えでありますので、その趣旨に賛成して、政府原案に賛成するものであります。三年延長につきましても、いろいろ技術上の問題があると存じますが、私どもは政府の提案されました原案に満腔の賛意を表してこれに賛成するものであります。
○委員長(小林英三君) ありがとうございました。次は、全日本鍼灸按マッサージ師会会長の小守良勝君にお願いいたします。

○参考人(小守良勝君) すでに医師の先生方、また教育大学特設教員養成部の講師の芹澤氏の意見によりまして、私ども業者代表である者といたしましては、これ以上申し上げる必要がないように考えられます。けれども御指名によりまして、第一から申し上げますと、医療行為、(物理療法)これは先ほど来医師の先生方がおっしっておる通り、マッサージを中心にして他の物療、すなわち電気、光線、あるいは温熱、水治療法とかいろいろなことがありますが、私はもちろんマッサージはマッサージ師として雇っていただいてそれら水治療法、あるいは一切の物療は医師がやるべきでありまして、あえて別な方法をとっておやりにならない方がよろしいのではないかと思います。御存じの通り、私どものあんま、はり、きゅう柔道整復師は、医師以外の者でこの業を営む者はということが書いてありますので、医師と、また私どもはあんま、はり、きゅう、いわゆる歴史と伝統を誇るこの業名が今日まで伝わっている関係上、医師以外にこれを許していただけていると、こう思うのでありますから、われわれと医師の間にまた何か一つの方法をお設けにならないで、医師がなすっていただくことが国民として一番善ばしいのではないかと、こう考えるのであります。
 第二は、あんまと指圧の関係、これは今芹澤氏が科学的の理論で一切申し上げてありますから、あえて私が申し上げる必要はありませんが、先ほど医師の先生がいわゆる自律神経系統のことを仰せになりましたが、今芹澤氏の説明でおわかりのように、あんま、マッサージは今六種類あると申し上げましたが、その六種類の一種類の中でも、最も軽くやる、あるいは中等度にやる、あるいは最も強くやるという、いろいろな手技の中にもその程度がいろいろあるのであります。従って病気の出診断にできませんが、病気の概況によりまして、この患者に対してはおなかをマッサージする場合は最も軽くして、自律神経系統を刺激して、そうして内臓機能を高めるというようなこともずいぶんわれわれは研究している関係上、その一種の手技の中に重く、あるいは中等度、最も軽くやるというので、かなり病的に作用がたくましゅされることと思うのであります関係上、あんまと指圧の関係は、あるいは指圧師から仰せになれば相当理論があり、正しいように思われますが、私どもあんま、マッサージの業からいえば、先ほど来申し上げているところの手技の一種であります関係上、当然あんま、マッサージの中に入っていただくべきである。そうして規定の修業をして免許をとっていただくべきであるということは、法律が出ましてから今日まで論じているものであります。
 第三の指圧とその他手技及び刺戟療法との関係、これは今芹澤氏が申し申し上げた通り、指圧以外の手技と申しますと、あるいはおなでさんとか、いろいろななにがありましょう。あるいは拝むような場合もありましよう。いろいろありますが、御存じの通りあんまとマッサージはあえて足で治療をすることはありませんが、ある手抜を行う点において、また病の点において足で押えて手でその療法、治療をするということもあります関係上、いつかどちらかでお話がありましたが、昨今足療法というものがはやっていると仰せになりますが、われわれはこのあんま、マッサージの中で手と足を使って、場合によっては足に力を置いて手にそんなに力を入れずして、一種の治療行為をしておるということがありますので、手技というのはそういうことも考えられると思うのであります。
 それから刺激器具器械、これは今芹澤氏の申した通り、はり、あるいはきゅうは御存じの通り三千年の歴史を持っておって、まだ医師法がしかれない前ははり師がいろいろな外科的な療法をやっておったのでありますが、医師法がしかれましてからそれらは禁じられまして、現在行なっているところの金、銀、プラチナ、その他の製法によるはりを用いて、身体の皮膚の刺激、あるいは筋肉内に刺激をして、いわゆるこりをとるとか、いろいろな療法によっております。このはりとかきゅうのことについて、その器械器目打、別な器械器具を使ってやっていらっしゃる方々が多いように思われますが、この刺激と考えられますので、これらの方はあんま、はり、きゅうの中に入っていただくべきことが当然と思います。
 それから第四のことはすでに先生方が仰せになりまして、修得方法及び営業の現況、これは私が一言申し上げたいのは、指圧をなさっている方々が、もちろん医学的の修得はなすっていらっしゃらないが、社会的に割合に地位のある方々がなすっているのであります。世の中は、一般の国民はやはり地位のある方を中心にして考えるようなことが多いので、たとえば、あるいは国会に関係のある方とか、政府に関係の方々とか、あるいは会社か何かに関係のある方々、地位のある方々がなさるのでおのずとその名前を知っておってゆく、慕ってゆくまたその施術者はだんだん経験を積んで割合に上手な治療をなさって宣伝かきいて多くの患者が扱えると、こう考えられるので、医学的な根拠から申しますとどうかと存じます。こう私は、解釈いたします。
 次に、あん摩師、はり師、きゅう師、及び柔道整復師法の八年間の暫存期間、これは転廃業と私は存じております。その八年間にもしこの仕事をなすってゆきたいとすれば、お考えになっていたと思いますが、あんま、はり、きゅうの学校を出ていただければよろしいのじゃないかと思うのであります。その、観念がおありになったかど5かわかりませんが、ついずるずる八年間たってしまって、今日政府でもまたわれわれの間でも検討しなければならないと、こういうことになったのではないかと思います。
 それから第六の改正による三年の延長において指圧を除く、医業類似行為――電気、光線これは三年間の間にこの電気、光線その他を扱う方々にあんまの試験をやっていただきたいと思う。これに合格してそしてあんまをやっていただきたい、要するに指圧その他をやっていただきたいと思う。この三年間の、これが短縮されれば二年でありますが、二年でもけっこうと思います。六・三を出て二年でありますから、その二年間に修得をしていただいたならばりっぱに――いわゆる先生にはどうかと思われますが、治療家として世の中に尊敬されるのじゃないかと思います。
 それから第七の医業類似行為を禁止すべきか、社会的に救うべきであるか、これは私どもといたしましては、第一項に申し上げた通り、電気、光線その他は医師がやるべきものであって、まだあんま師、はり師、特にはり師なんかには、電気は全然感伝電気においても禁じられております。あんま師におきましても感電平流ぐらいしか使えないので、こういう法律のもとに取り締められておる。われわれが使えなくて医業類似行為をなさる方が大それた医師が行うべき電気、光線を扱うということは、私はいかに地位がおありになっても危険であると思うのであります。もしなさるとすれば、医師になってやっていただくことが然るべきであると存ずる次第でございます。
 それから社会的な問題としてこれを救うかどうか、これは私どもは業者といたしましては、今日まで考えてくると、これは私どもの考えられないことで、政府及び国会においてお考えになって、あるいは場合によってはお救いにならなければ一万二千九百十五人の方々がお困りになるのじゃないかと、こう思われるのでありまして、御相談になったときには私どもの意見を申し上げようと思いますが、その場合においては、それぞれの専門の先生方におまかせして、その御相談があれば私どもお受けしてその他のことを申し上げようと考えておるのであります。以上申し上げましたことの点について、医師の先生方に多少団体代表としての言い分がどうかと御解釈願えるかもしれませんが、私どもは医師以外にあんま、はり、きゅう、柔道整復、これ以外にないと思うのでありまして、あらゆる医業類似行為の方々ははり、きゅう、あんま、マッサージ及び柔道整復のおのおのの手技、扱うべき器具、器械を利用して別名をもってやっていらっしゃると思うのでありますから、すみやかに私どもの学校に、養成所にその期間を経て国の免許をとってやっていただいたならば、この方々はあえて電気といわず、あえて指圧といわず御自分の経験とまた医学的根拠を修めて、理論と実際を一そうつまびらかに研究なさったならば、今までより以上の成果を国民に知らしめるのじゃないかと、こう存ずる次第でございます。
○委員長(小林英三君) ありがとうございました。
 次は、日本鍼灸師会の花田博君にお願いいたします。

○参考人(花田厚君) 私は日本鍼灸師会の代表でございますが、本日は暑いところわれわれのためにこういういい機会を与えられましたことを厚く感謝いたします。冒頭に現在、この業に対してどういう方法をとるかという政府の措置が示されております。政府から改正法律案が出ておりますが、これに対しまして、私どもはあらゆる観点から絶対賛成をいたしております。
 その賛成理由というようなものは、順次これから一、二、三、四、五、六、七とある中でほぼわかっていただけると思いますので、まず政府原案に賛成であるゆえんを明らかにいたしまして、第一の物療関係という、物療というような第一項目に対しましては、これは先ほどからその道の先生方のお話がありました通りに、私どもも、これは医師が間接もしくは直接に何らかの形で関係しておるものは、これは物療と称して医療行為であると解釈しておりますが、医業類似行為は、同じ行為である、違うことはない、同じで、はり師なりがするのであるが、これは間接にも直接にも医師が何も関係しておらなくて、独立でやっておることを医業類似行為と、こういうふうになっておるものだと、かように解釈しております。これを議会で、前の医務局長さんがよく表現された、狭義の医療が医療行為であり、広義の医療が医療類似行為であると、私はかように解釈しております。それからこのあんまと指圧の関係問題につき正しては、すでにそれぞれの問題から解明されておりますので私はあえてこれを私はあえてこれをたくさん蛇足を加えませんが、指圧の方々はあんまと違うということを盛んに主張しておられる。その中に、私は私なりの観点から、同じ指圧の中にも私が知っておる乏しい知識の中にも幾通りもあるのであります。物理的指圧療法、純血液循環療法、超指圧療法、高趣指圧、押手療法、リンパ液間歇療法等、この指圧の中でも今読み上げたのは五つ六つありますが、より以上たくさん指圧の流儀がある。これがどれが本来であるか私どもはつかむ道がわからないのであります。一がいに指圧というても、その指圧の中にかくのごとく種類があります。なお手技に至っては、これはおびただしくてとても簡単には申し上げられません。かように指圧の中でもそれぞれ違うことがあるように、あんまとマッサージも違うということを主張されるのではないかと思います。それならば確かに違うと思います。それは指圧の中にいろいろの名称をつけられておるように、それぞれ幾らかの違いがあるように、幾らか違うことがあるに違いありませんが、根本的な手技においては、これは全く同一なものであります。しかるがゆえに、私はあんまと指圧というところの関係は同一のものであって、今回政府のとられたあんま並びにマッサージとともに指圧を認めるというのは、これは社会通念による一つの判断であると、私はかように解釈しまして、この処置を、政府の処置に賛成したわけであります。
 三、指圧とその他の手技及び刺激療法との関係、これは先ほどから申されましたように、いろいろな手技と指圧というようなものはこれは総じてあんまの中に入れるべきものである、かように解釈して、その他の刺激療法あるいは温熱療法というようなことかありますが、これは俗間に流れております温きゅうとか、あるいははりを皮膚に接触しまして刺激療法とかいうような名前を掲げておられて、これが療治と称して別途にやっておられますが、こういう療法はすでにきゅう師もあるいははり師も当然許されている免許の中に行なっているのであります。でありますから、この人方が真にこの治療をもって国民に衛生奉仕したいとお考えになるならば、なぜ進んできゅうなりはりなりの免許状をおとりにならないかということを私は非常に疑うのであります。はりやきゅうの免許状をとっては自分の特技としておるところの刺激療法はやれないというのならば、これはまた話は別なんでありますが、はりやきゅうの免状をおとりになればりっぱにできるのである。そこで私どもはこれを悪く解釈いたしますと、はりやきゅうをとるのには多年、今では六・三の中学を出て五カ年の過程を経なければはりきゅうの免状はとり得ません。しかもその上には試験があります。こういうめんどうな過程を経ることが困難あるいはめんどうと考えられて、やっぱり療治という名前のもとに一緒になられて運動されるのではないかと、かように解釈しております。
 四、医業類似行為の修得方法、この問題につきましては、これは全く昭和二十二年九月までにやられた方でないと今までやられた方々はないのであります。それからあと盛んに講習だとか学校だとかいうようなのが設けられてやっておられるのは、これは国家が作った法律を無視したやり方なんです。これは私どもは断然顧慮する必要なしと考えております。なぜかというに、法律の明文にははっきり三十年十二月三十一日までは従来やっておったもの一この例をあげまして、やっておったものはよろしいが、そのほかのものはいけないということは、法律の第二百十七号の十二条に、第一条に許された免許を持っているもの以外は、医業類似行為はやってはならないと明記されておりますにかかわらず、これらをやってこられた方は、何とかしてからという考えがあるのではないか、これらの人を顧慮することになると、将来もいわゆる多数の勢力を頼んでもぐり行為をやれば何らかの方法が得られるという悪い習慣をつけると思いますので、断然そういうことはいけないと思います。従ってその以後に修得された方々は、おおむね個人のいわゆる弟子あるいは弟子でなくても、その人について習ったというような幼稚な寺小屋式の養成にすぎないと私は考えております。営業につきましては、つまびらかにいたしませんのでこれは申し上げられません。
 五、八年間の猶予をどう解釈したか、これは全く私どもも転業、廃業なすべきものである、かように解釈いたしました。
 それから改正による三年の延期、このうちで果してあんまの試験を受けるだけの科目の修得ができるかどうか、これはこの修得の方法のいかんにあると思います。せっかく政府ではこの期間の間にいわゆるあんま、はり、きゅうをのけましたいわゆる医業類似行為の方々の転業を認め、あるいは生活の方面によって救おうというお考えがあるならば、これに即応するように、この人たちがなるべく試験が受けられるように進んで講習会を開催してやるとか、あるいは修得の便をはかってやるというような方法がとられるならば、三年でもけっこう受けられるでしょう。しかしこれをそういう方法はとられないということになりますと、これはなかなか容易でないと考えます。ましてやこの人たちはすでにもう生活をしておられる。二カ年間のあんまの修業年限がありますが、これは初めからあんまになるつもりでもうからだをそのものに投げてやるのですから、当然二年毎日学校に通えましょうが、この方々はすでに生活をやり、多数の家族をかかえておられる方があるかもしれません。毎日学校に行くということはできないので、こういう点を考慮されまして、そうして修得の方法について相当の考慮を払われるならば、三年で妥当であると私は考えます。
 最後の医業類似行為の業態についてでございますが、先ほどどの先生からかしりませんが、医業類似行為は犯罪のためにつけた名前だというように、私の誤解かもしれませんが聞きましたが、私は現在の医業類似行為と称せられておるようなお医者さん以外のいわゆる医療行為者でございますが、これはお医者さんではどうしても工合が悪いとか、あるいはお医者さんでは手が回らないという観点から国民が自然に要求して生れてきた点もあり、あるいは従前からあんま、はり、きゅうのように三千年という歴史のもとに続いてきたものもあり、いろいろな点がありますが、いずれもこれは社会が強く要求するために残っておるものと存じます。従って、この際はいろいろな理屈を抜きにいたしまして、将来お医者さんが一人で人間を製造したりあるいは都合によって切りかえるという方法ができようにならざる限りは、これは社会に置いておくべきものであるというふうに考えます。むしろこの際進んでこの人たちをほんとうのお医者さんのやられる医療に近づけて、そうしてその補助になるような方向に育成助長されることが望ましい、かように考えます。
 以上で私の申し上げる点は終りでございます。
○委員長(小林英三君) どうもありがとうございました。
 次は、関野光雄君にお願いいたします。

○参考人(関野光雄君) すでに詳しく御説明がございましたからごく簡単に申し上げまして、あとは先生方の御質問にお答え申し上げたいと思います。
 そこで、まず第一の医療行為と医業類似行為との関係でございますが、先ほどからこの点につきましては詳しい御説明がございましたが、私はこの場合、普通いわれるところの医療行為、これと別に広義に解されるところのあんま、はり、きゅう、広義に解したならばこれも医療行為の一つだと解釈いたしているのでございます。特殊医療行為と申しますか、そういう解説のしてある書物も今日までに拝見いたしたことがございます。そこで純然たる医師の行われる治療と診断との関係の医療行為は別といたしまして、あんま、はり、きゅうと、いわゆる医業類似行為、私どもが呼んでおります医業類似行為でございます法律二百十七号の第十九条に規定したところの医業類似行為との関係について少しばかり申し上げたいと存じます。
 このあんま、はり、きゅう、物療と称されるものの中であんまは手を用いまして機械的刺激を身体に与えて治療ないし健康の維持あるいはその増進をはかる。その次にはり、はりは針または針状の器具器械をもちまして皮膚あるいは皮内に刺激を与えて治療を目的といたします。次にきゅうでございますが、きゅうは温熱的刺激を皮膚に与えまして、その刺激によりまして治療効果をねらうものであります。従来考えられているように、きゅうというのはもぐさを焼かなければならないものだというのがきゅうじゃない。それはきゅうの主体ではありますが、最も広くきゅうというものを考えますというと、体表の局所に温熱的な刺激を加える、これがきゅう療法である、こういうふうに解釈いたします。すなわち、物療と称しているものの中の手による機械的な刺激、器具器械によるところの刺激、温熱的刺激、これらを特別のあんま師、はり師、きゅう師という免許によって業とすることを認められているものがすなわちあんまでございます。それでは医業類似行為とは一体何をしているものかと申しますというと、電気及び光線を除きましては、ほとんどこの以上申し上げました温熱及び器具器械によるところの刺激並びに四肢によるところの身体への刺激、この範囲を出ていない。つまり医業類似行為というのは、特定の教育を受けない、特定の資格を免許されておらないものが免許されているところのあんま、はり、きゅう師と同じような行為を行うものが、これが医業類似行為である、こういうような関係に立つものと解釈いたします。
 次に、第二項のあんまと指圧との関係でございますが、これにつきましては芹澤先生から全く詳細にわたりまして御説明がございました。この御説明に対して私は全面的な賛意を表するものでございまして、あえて蛇足をつけ添える必要もないのでございますが、特に一二言申し上げたいのは、芹澤先生はあんまにおける導引というものについてお話がなかったようでございますが、あんまにおきましては関節の運動、筋、神経の伸展といったようないわゆる導引というものをやります。これが脊柱の矯正法ともなりあるいは癒着の剥離ともなりあるいは組織の短縮の伸展となる、こういうものが含まれております。
 次に申し上げておきたいことは、あんまにつきまして一般の通念とあんまの実態とが違うということでございます。これにつきましても、その原理等につきましては芹澤先生から御説明がございましたが、一般に理解されておりますあんまというものは常に、先ほど御説明がございました圧迫、按撫、操撚あるいは叩打というものを必ずいつの場合でも行うものである。いつでも総合的に施されるものがあんまである。いわゆる町で一般にやっておりますあんまをもってあんまの実態とお考えになる方が大へん多いということであります。あんまの実態はそういう小さなものではございません。先ほど御説明がございましたが、皮膚、内臓反射だけを使って圧迫だけを施すこともございます。あるいは神経痛等に対して、神経痛と申しましても、種々さまざまな原因からやって参りますので、簡単に申し上げることはできないのでございますけれども、必要のある場合、特に特別な原因を認めないような機能的な場合におきましては、圧迫を加える、あるいは圧迫法に按撫法をプラスするといったように、必要に応じて適応症に従って基本手技の一つないしは二つあるいは三つといりたように、適宜応用していっているものでございます。従って指圧とあんま、マッサージの関係は全く同一であります。科学的な根拠においても全く同一であります。あんまの形はこれこれの形があんまだ、こういう形はちょっと説明しにくいのであります。それから実際に指圧などをやっている人々でございますが、幹部の皆さんは知りませんけれども、私どもがしばしば拝見いたすところでは、決して、先ほどの御説明があったように、単独に文字の示す通り、指による圧迫だけ行なっておらない。必要に応じて関節の運動をやっている。このことはここおいでになります先生方の中にも、そうした指圧をお受けになったことがおありになることと存じますので、あえて駄弁を弄する必要がないと思いますが、そのように決して限界の、圧迫なら圧迫とはっきり固定したものではない。実態は完全にあんまの領域を侵している。もともと指圧そのものはあんまの領域でありますが、単に指圧にとどまらずにその他の手技まで侵害をしている、これがあんまと指圧との関係と存じます。
 第三番目の問題は、すでに前の方の芹澤先生なり、小守先生なり、花田先生の御説明で十分と存じますので説明を省かせていただきます。
 その次は、医業類似行為の修得方法及び営業の現況でございますが、このことについて詳しく調査をいたしたことはございませんので、申し上げにくいのでございますが、一、二存じておるところによりますというと、まあ多くの場合、先輩について指導を受ける、中には器用な方は見よう見まね、あるいはみずから指圧を受けたという経験によって、みずから独善的なものを作り上げる、そして何々派と称せられるようなものを作っている。こういうようなのが医業類似行為の修得の方法ではないかと存じます。
 なお、お断わり申し上げますが、あんま、はり、きゅうと医業類似行為の関係について申し上げておりますので、その点御了承願いたいと存じます。次に営業の現況でございますが、これも全国的にわたっては申し上げませんが、京都の場合について申し上げますというと、京都には百七十余名の医業類似行為者が現在おるのでございますが、その中でこれを生業としておるものは約六十人にすぎないのであります。その他は多くは副業、他に職業を持ちながらこれをあわせ行なっている、これが京都の現況でございます。京都の現況をもって全体を推しはかることは優越でございますが、御参考までに申し上げたいと思います。なおこのことは指圧の会長が京都府会におきまして、私どもの請願によって参考人として呼ばれた場合に、委員各位の質問にお答えしたものでございますから、まず誤りのないものだと考えておる次第でございます。
 次に、第五項でございますが、これは先ほど来御説明がございました通り、私どもは全く八年間において転業なさるか、あるいはなおこうした医業に関する仕事をなさるならば医師に発展されるか、それともあんま、はり、きゆう師になられるものと確信いたしております。昭和三十年の十二月三十一日が参りましたらあんま、はり、きゆう師、柔道整復師を除いては、日本にはそうした医業類似行為者というものの存在はないものと確信いたしておったのでございます。
 次は六番目で、改正による三年の延長期間内に指圧を除く、医業類似行為業者があんま師としての試験に耐え得るだけの勉強ができるかということでございますが、これは私は三年の必要はないと考えておるのでございます。なぜならば、あんま師が修業を終了いたしますまでに修得いたします科目は解剖、生理、病理、衛生及び治療一般と申しまして、あらゆる治療法の原理を一応指導されるのでございます。そういたしまして、決してあんまやはりなどが他の療法にすぐれたものでない、疾患に対してはこういう療法もあり、こういう療法もあるのだ、その場合われわれはそのどの療法を患者に勧めるべきか、一番早く患者が病気から救われる方法を指示するだけの知識がなければならないということから、こういう科目が設けられたことと存じますが、それから症候概論と申しまして、症候のよって来たりますところの病理学的原理について教授されます。これだけがあんま師でありましょうと、はり師でありましょうと、きゅう師でありましょうと、すべて共通の学科になっておるものでございます。それにプラスすることあんまの理論、あるいはははりの理論、きゅうの理論並びにその実技、こういうことに大体なっておるのでございます。このうち今日まで医業類似行為々業としておられた方々は、少くとも解剖学や生理学や病理学というような基礎医学については一応の御了解がなければいけないはずでございます。また治療法の一般についてもあらかじめの知識を持っておいでにならなければ、今日までこういう行為を行うことができないはずでございます。もしそれらの方々が全く医学に関して無知識であったといたしますならば、今日までにずいぶん多くの被害が出たであろうと思います。事実実害は出ておりますけれども、しかしそれほど大きくない、こういう事実もございます。それはこれらの業をやられる方々がすでこうした専門的教養を身につけていらっしゃることを証拠づけいうと、結局あんまとなるためのあんまの理論及び実技の修得が主になって参るわけでございます。電気、光線をおやりになっておいでになる方は、あんまの理論及び実技についてはこれは全く御存じない、白紙の状態でございましょうから、これは一からやっていただくことになりますが、これとても正式の養成機関におきましてさえ、あんまは五百六十時間修得することによってまず一応のピリオドを打つのでございます。もちろん五百六十時間をもって完全なあんま技術というものができるわけではございませんが、まあ一応の基本的なものが完了する、こういうことになっております。あんまの理論につきましては、最低のところ七十時間を修得すればまず最低線ができる、こういうふうになっておるのでございますから、これくらいのものを修得していくのに三年という年限は要らないのではないか。それよりも年限を短縮して早く修得される方がおやりになる方も御安心になられるはずでございますし、私どもも前途がはっきりいたしまして非常にすきっとした姿が出てくるのではないか、こういうふうにに考えておる次第でございます。
 それから第七番目でございますが、医学上から見て医業類似行為は禁止すべきかと、これは私は電気、光線は小守先生が言われたように、やはり医師あるいはレントゲン技師というものがあるわけでございます。それほどの機械を使うのならばそれだけの教育を受けなければならぬ。それだけのものでない、いわゆるしろうとが使っておるような感電のようなもの、あるいは平流五十ボルトまでのようなものでありまするならば、それほど大した問題でない。それは現在まであんま師が併用することが認められておりますし、実際先生方の指導のもとではありますが、病院などにおきましてマッサージ師が現実として使っておるのでございます。これをそういう現状にもかかわらず、あえて別のものをここに作る必要がない。また第一項において申し述べましたごとく、医業類似行為の方々の業の内容というものは、ほとんど電気、光線というものを除く限り、あんま、はり、きゅうと本質的に同一のものであるといたしますならば、あえてこれと別なものを認めていく必要はない、こういうふうに考えておる次第でございます。
 なお次に社会的に見てどうなるか、こういうことでございますが、この場合二つに問題を分けて考えてみたいと存じますが、現在まで、つまり昭和三十年の十二月三十一日までに一応特例によって営業を認められている方々については、これは何らかの方法を考えなければならないのじゃないか、これを断ち切っていただくのが私どもの希望であり、また法治国の理想であろうと思いますが、しかし実際問題として一万幾人かの方々の業がここですっかり切れてしまう。八年間の過去において、こういう今日の事態を迎えないようにすでに予測されるべき問題と存じますが、それはいろいろな事情があってすでに八年を経過した今日、過去を申し上げてもいたし方がないので、まずまずこれらの方については考えなければならぬ。しかしこの際いたずらに期間を延長するということは、今日同様の事態を招く憂いが多々あるわけでございますので、一刻もすみやかにこれを解決しなければならない、こういう建前から、先に本申し上げました通り、三年という期間は長きに過ぎる。実際問題といたしましてそれだけの期間は要しない。十分に御熱心にやっていただきますならば、先ほど申し上げました時間の程度でございますから、できるはずでございます。
 次にもう一つの問題といたしまして、今後積極的に、今日までの方でなくて、今後積極的に医業類似行為を認める必要が社会的にあるか、こういうことになって参りますと、これは社会的にない。むしろこれは、こういうことは純理論の立場からは申し上げにくいのでありますが、社会的問題というその現実的な立場からでございますので、一応遠慮なく申し上げさしていただきます。まず現在のあんま、はり、きゅう師は、これは視力障害者が非常に多いわけでございます。視力障害者がこの業で今日まで活躍しておる。あんま、はり、きゅうという業をもって活躍しております。その活躍しておるということは、視力障害者の社会的な地位が存在しておると同時に、やはりそれだけの需要があるということは社会に貢献しておるということであります。生活するだけの一つの価値を持った存在であります。ところが、そういうものの業がどんどんとおびやかされることになりますというと、それらのものは独立して社会に立つことができない。社会の保護下に立たなければならぬ。どうしても保護しなければならないものかといえば、そうじやない。事実において今日まで長い期間にわたってりっぱに社会の職業人として社会に貢献し、しかも納税の義務まで果しておる。これは世界に誇るべき現状でございます。そういう立場から申しますならば、これは社会的に今さらにこれと類似のものを認めていくということは全く必要がない、以上のように考える次第でございます。
○委員長(小林英三君) ありがとうございました。
 次は、全国療術協同組合理事松本茂君。

○参考人(松本茂君) 私はただいま御紹介いただきました全国療術協同組合の理事松本茂であります。本日は私ども全国の同志か長い間業としてきたことをなくするか続けられるかという重大な問題を御審議していただくときにあたりまして、幸いに私たちに貴重なる時間をお与え下さいましたことを、全国一万三千人を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。
 次に意見の聴取事項についてお答えを申し上げますが、第一の医療行為(物理療法)と医業類似行為との関係につきましては、われわれが長い間厚生省の委嘱によって種々の調査をしていただきました東京医大の藤井先生からお話がありましたので、これは私が申し上げるよりも、この方がよろしいと思いますので、これは御遠慮したいと思います。
 二の、あんまと指圧との関係につきましては、指圧の専門家が来ておりますので、これに譲ってお話をしていただくことにしまして、三の指圧とその他の手技及び刺激療法との関係ということについて一言申し上げたいと思います。
 手技と申しますと、昨年厚生省が地方に療術の調査々委嘱なさるときに、(技手指圧、整体)という名前で調査をしていただき、その調査に当って下さいました藤井先生も、これは手技として将来性のあるものであるから、その手技を強調すべきものであるということで、私たちは承わって以来、公式の文章あるいは言葉においては手技という名前々使ってきております。その中には、先ほどからお話がありましたが、あるいはアメリカにおけるカイロプラチック、オステオパシー、スポンジロセラピート、高い手の療法、あるいは今度は新興宗教の名に隠れておさすりさんとか、あるいはその他の方法を用い、いわゆる社会でいうインチキというようなもの等も含まれるのかもわかりませんが、われわれ全国療術協同組合の組合員がやっておりますところの手技と申すのは、指圧と整体の二通り流れておりまして、その整体の方は、先刻もお話がありましたが、脊髄を中心として治療を行なっていく、これが私たちの治療の眼目になっているのであります。これは少し長くなるかもわかりませんけれども、人間のからだが脊椎が中心となり、そうして骨格が支桂となっている関係から、後天的にからだにいろいろの違和が生じてくるわけでございます。ことに脊椎骨は三十三個ございますが、その中の二十四個の脊椎は、軽い、それこそほんとうに軽い転位といいますか、狂いといいますか、日本で訳されているのは自然脱臼と言っておりますが、自然脱臼というのは、完全脱臼でない軽い亜脱臼だということを言われているのであります。その軽い亜脱臼の結果は、椎骨の両側にありますところの脊椎と脊椎の間の椎間孔、この椎間孔を派出している脊髄神経が軽い圧迫を受けて、ちょうどガスのゴム管が圧迫を受けてますと、ガスの量が少くなって火力が弱くなる。長い時間継続されますと、この即支配下にある臓器、組織器官に悪い影響を与えていろいろの病気を誘発したり、あるいは病気になっているときにはそういう脊髄に故障があるのだと、こういうふうに私たちは教えられてきております。それでその軽い脊椎の狂いを軽く調整いたしますと、その圧迫を受けておったところの脊髄神経は、ちょうどガス管の圧迫をとったように、本来の働きを神経が始めるということになります。そうして神経が本来の働きを回復するに至りましたならば、その支配下にあるところの組織器官というものが自然癒能力あるいは自然の治病力とか、あるいは疲労回復の力が強くなって、いわゆるからだの内部から自然治癒をしてくるということになるわけであります。そういう意味で先刻芹澤先生のお話では、そういう脊椎の狂いもわれわれの中においてりっぱに調整ができる、こういうお話でございましたが、それはなるほど生物でございますから自然の回復もできましょう。脊椎の狂いが自然に回復もできましょうけれども、それは長い時間を要するわけなんです。今までに自然回復ができるようになれば、それはいつまでもそういう脊椎の狂いというものが残存しないわけなんです。そういうわけでカイロプラチックとかオステオパシーみたいな療法はその狂いを軽くアジャストする、調整する。そうしてあとを指圧して、その一方に引きつられておるところの筋肉の硬結とかあるいは弛緩の均衡を保つように整えていく、こういうことになるのでありますから、あるいは長い時間を用いるならば、それは自然回復はできましょうけれども、長い時間を用いないで、あたかも今の交通機関が昔徒歩で歩いたり、かごで歩いたりしたものが、車に乗ったりいろいろして、早く目的地に達するといったような方法が文化の発達とともにアメリカにおいてできて、それを私たちは継承したり、あるいはこれを手技の治療の中に包含してやっているわけなんです。そういうわけで、一歩また進んで行ったならば整形外科に属するだろうというお話もございますが、あるいはそういうことも考えられるかもわかりませんけれども、整形外科というものがどの限界まで来ておるか、それは私はちょっと今わかりませんけれども、整形外科に行かなければならないというほどの大きな脊椎の狂いとか、骨格の狂いというものがなくて、自分では気がついていない、しかるに幾らいろいろの治療をしたり、それこそあんまをしてもマッサージをしてもおきゅうをしてもなかなかなおらないというような場合に、脊椎を調べてみますと、相当にサブラクセーションという脊椎の狂いがあるわけなんです。それを軽く、それこそ軽く調整いたしますと、今までなかなか自分のそれば持病であると、容易になおらないと思っていたいろいろの故障が、短かい期間と短かい時間にこれが解消していく、こういうことになりますので、先刻お話がありましたように、あんまさんの技術でこれが全部整っていくならばわれわれの方に――それこそ今まで大した資格も与えられていないわれわれの方に来るわけはないのです。そうして一度来た人が、先刻もお話がありましたように、一度かかった患者が次の人を紹介する、また次の病人を紹介するということは、今まで受けでおった治療よりかこの療術の方が、手技療術の方が大へん私のからだに合いますということを実際に物語っておると考えるのであります。そういうわけで、決して私はこれがあんまさんにできないとかあるいはあんまさんのやることがどうとかということではありませんが、事実の問題といたしましてそういうふうにやってみえる。われわれは何百年も何千年も前からあるあんまあるいはその他の施術に対して、決して職業を侵害するとかそういう気持はないのでありますけれども、自然に社会の人がわれわれを求めでくる。何ゆえに求めてくるかということを考えましたならば、多少そこにわれわれが希望せられるあるよいところがあるのではないか、こういうことが考えられるのであります。それで決して独善的に私たちは手技がよいとか指圧が絶対であるとか、そういうことを申し上げて、あんまあるいはマッサージがいけないというようなことは、今までも一言も言ったことはないし、またそれは言うべきものでもないわけです。ただ現実の問題として、一人がかかったならばまた次の人を紹介しようというところに、今まで行なった人たちよりか多少その受ける人がプラスになるという実感があるというところにあるのじゃないかと思います。また先ほどお話がありました整形外科ということについては、私もよくわかりませんけれども、整形外科に行かなくちゃならないほどひどい狂いでないということなんです。そういうわけて、またそれかみんなが整形外科に行くということになっても、これはなかなかお医者さんが一々人の背中をみたり脊椎をなおしたりするということは容易なことではありません。われわれみたような、貧乏人が何もほかにすることがなくてそして自分の、たとえば私のことを申し上げますならば、あらゆる治療を加えましても三十まで生きられないと、それほど言われた私が、この療術によって初めて健康を回復して、そうして三十八歳で妻帯をして六人の子供ができて、まだもう少しは生きていられるというようなからだになったというようなことから考えて、私のからだはこの通り、あなたのからだもそうだ、しかもその骨格を調整するという治療が、アメリカのスチールという医者が自分の娘を三人同じ病気で殺したことに端を発して、苦心研究の結果、オステ・オパシーというものを発明し、またカイロプラチックというのもそういう意味かや研究完成されたものなのでありますそういうわけで、お医者さんがこれをやるということはなかなか容易でない。ですからやはりこれは理論的には、実際にこれは整形外科に属するものでありましょう、あるいはあるかもわかりませんが、お医者さんにはすべてをやっていられないというところに私たちの存在というものは必要になってくるのじゃないか、こう考えるのであります。そういうわけで、決して他のお方のお言葉を反駁するというわけではございませんが、私たちはそういう意味で治療に従事しておるわけであります。また私たちは、先ほども診断行為がいろいろ云々されましたが、決してこれも医師が行うような診断行為でなく、脊椎が狂っているかいなか、あるいはある筋肉に硬結があるかあるいは弛緩があるかという、治療に必要なものを触察しながら治療していく。そしてその治療ということがどうであるかわかりませんが、ともかくも身体にそうしたいろいろの違和が生じていることを整える。その整えることが私たちの目的になってくるわけで、整えておけば、あとは自然治癒に導いてもらえる、これは生命力のある生物として当然与えられた権利であると思います。そういうわけで、私たちの手技療法というのはそういった軽い故障、軽い狂い、そういうものを調整するというところにあるわけでございます。
 次に、刺激療法との関係については、やはり同志の専門家の宇都宮理事がおりますから、その方にお願いすることにいたします。
 それから医業類似行為の修得方法ということについて申し上げますが、これはずっと前はやり弟子入りをしたり、いろいろしていわゆる徒弟制度といったようなものがございましたのですが、社会の進歩発達につれまして講習会に進み、そうして次には学校制度に進みつつあるわけなんです。北海道における学校がその最もよき例でございますが、モデル・ケースとして、北海道では昭和十六年より今日に至りますまで三カ年の修業課程を経て、そうして公認するということになっております。この学校には、北大の現職の先生方が教鞭をとられております。また近く神奈川県におきましても、先ほど志村先生がおっしゃったように、横浜医大の講堂において、数年にわたってやはり解剖、生理、病理その他のわれわれに必要な治療医学が講習されております。そのほか全国には約三百数十名の医学者やお医者さんを講師にお願いして、そうして療術医学の研究、あるいは指導が今日に至るまでなされておるわけでございます。
 それから営業の現況につきまして一言申し上げますが、現在は保健所の指導のもとにいろいろの設備も改善されて、相当によくやっております。ことに近代科学の影響を受けまして、いろいろ治療の方にも研究考慮が払われまして、決して保健所からこれはいけませんというような注意を受けないで済む程度にまで進んでおりますし、そうして社会の認識も、この手技療術、あるいは指圧療法そういうものが次第に認識を深めてきておりますので、われわれ一万三千の業者の大部分は、この療術によって生活の安定を期しつつあるわけでございます。
 それから第五のあん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法の公布(昭和二十二年十二月)以来、昭和三十年十二月三十一日までの医業類似行為の暫存期間(八年間)をいかに解釈したかということについてお話を申し上げたいと存じます。私どもは、療術は昭和五年以来、あんまとは別個に敵方条例による届出制度がとられてきたのであります。しかし私たちは全国統一した法律の制定を希望して国会に運動を続けてきたのであります。ところが特に昭和二十二年四月三十日に河合厚生大臣の時代に省令が公布され、その省令に基いて北海道初め秋田県その他各府県において試験制度を実施しておるわけでございます。ところが二十二年の十二月に突如法律第二百十七号が公布されて、私たちは八カ年という期限をつけられたわけでございます。そのときに当って時の厚生大臣一松定吉先生がこの間七月十八日にこの委員会で述べられましたごとく、この八年間は禁止するのではない、玉石混淆を選別してよいものは取り上げる期間だから、自戒自粛して、大いに研さん琢磨するようにと言われたのであります。さらにまた政府は昭和二十四年以来五カ年にわたり国費二百五十万円を計上して療術の科学的調査を全国の大学及び国立病院に委託しました。研究目標は、療術が無害有効であるかいなか、及び適応症と禁忌症その他の事項でありました。しかもその調査には全療協の組合員が動員されまして協力をしたのであり、また厚生省においても、皆さんはぜひあなたたちのためになるんだから協力をして下さいということを河野前医務課長、あるいは岩佐前技官が指示されたこともあるわけでございます。従ってわれわれ全療協の組合員は国が計上されてこれほどの調査をして下さるのでありますから、必ず昭和三十年以内に公認の日が来るものであるということを待っておりました。ところが今日、かかるあんまの中に指圧を含めると、しかも、あんまの試験を受けよという残酷な法案を見まして、私たち全国の組合員は、それこそ全身の血がとまり、天地がくずれるような思いをしたのでございます。それから昨年十二月一日にも、全国の衛生部長会議の席上で厚生当局は、療術業者はあと一年間の期間に迫ったけれども、決して職業上の不安を与えないから、安んじて業務にいそしむようというあたたかい御指示が、各府県当局からわれわれ団体に通達されたのであります。またその他のいろいろの、衆議院、参議院における療術に対する質問に対しましても、厚生省当局の公約は、われわれを絶対に転廃業せよというような印象を与えるお話は一言もなかったのでございます。そういうわけで私たちは必ず昭和三十年以内に公認されるものであるということを待っておったわけでございます。
 それから六でございますが、これはいろいろのお話もございましたけれども、今までいろいろの違って療術をやっておる者が急に違った学問をしたり、あるいはその術式を研究するといってもなかなか容易でない。ことに自分の生活を……
○委員長(小林英三君) 松本君、御発言中ですが、先ほど委員長が御注意申し上げましたが、大体十五分以内ということで、だいぶ超過しておりますから御注意願います。
○参考人(松本茂君) ではもう一言ようしゅうございますか。
○委員長(小林英三君) 大体骨子だけ言っていただけばいいんです。項目全部おっしゃっていただかなくてもいいんですか。
○参考人(松本茂君) それでは七の禁止すべきかいなかということについて一言申し上げさしていただきます。私たちは過去五十年にわたってこの療術を皆やってきておるわけでございます。そういうわけで今どうしてこれをやめなければならないか、あるいはこれがなぜいけないかということを聞きますと、昭和五年以来、警視庁令で取り締られるようになりましてから以来は、医学上これは危険であるというものは全部今までに厳重な取締りの上に処理されてきておりまして、今日残っておるものは皆安全かつ無害有効のものであるということははっきりしたのでありまして、北海道あたりには公立の病院に療術者を採用しておる事実もあるわけなんです。そういうわけですから、私たちはどこまでもこの療術というものを社会人の福祉のために、また私たちの生活のためにぜひ公認をさしていただくように御審議をお願いして、私の説明を終りにいたします。
○委員長(小林英三君) 次は、全国療術協同組合理事長の宇都宮義眞君にお願いいたします。
 なお、あとで委員諸君からの質疑が残っておりますから、時間の節約上時間をお守り下さい。

○参考人(宇都宮義眞君) 御指名によりまして発言いたします。時間も大へん経過いたしまして簡単にやれということでありまするので、なるべく省略いたしますので、ただ率直に申し上げまして、言葉の足りないところは、もし失礼がありました場合にはお許し願いたいと思います。
 初めに私ども療術行為につきまして非常に誤解があるようでありまするので、療術行為というものがいつどうしてできたか、その名称はどうしてきめたのか、だれがきめたのか、五種目というものはいつきめられたか、定義は何であるかというようなことにつきまして、御参考までに私ども昭和二十二年禁止されるまで従って参りました警視庁令療術行為取締規則の第一条につきまして、蛇足でありますが、ちょっと一言つけ加えたいと思います。
 すなわち、「本令二於ナ療術行為ー称スルハ、他ノ法令ニオイテ認メラレタル資格ヲ有シ、ソノ範囲内ニオイテ為ス診療又ハ施術ヲ除クノ他疾病ノ治療又ハ保健ノ目的ヲ以テ光、熱、機械、器具其他ノモノヲ使用シ若シクハ応用シ、叉ハ四肢ヲ運用シテ他人二施術ヲ為スモノヲイウ」、かように定められて、私どもは何らちゅうちょするところなく規則に従いまして業務を続けてきたわけであります。さてお尋ねのものが個条書になっておりまするので、その第一項から簡単に申し上げたいと思います。
 第一の医療行為と医業類似行為との関係につきまして、私はこれは広義の解釈をすれば、医療行為、医業類似行為、すなわち、あんま、はり、きゆう、柔道整復、たとえばただいま申しました療術行為はすべて医療の行為であると思います。しかしながら、法的にはただいま申し上げました警視庁令によって定められた業務及び法律二百十七号第一条及び第十九条によって定められた業務のことではないかと考えます。しからば医業類似行為というものを認めた限界につきましては、どういうことであるかということにつきましては、いろいろただいままで承わったところによりますれば、これは第一次の危害、すなわち直接危害がないということによって認めてあるのだ、そうして素養は医師ほどの素養を必要としないものに限る、こういうことになっております。そうして第二次の被害、すなわちこの治療をやっておる間に適当なる医療の器械を付するというようなことは、これは患者の責任とされておる。化学性その他の科学的効果のことについては必ずしも証明をしないというようなことでございます。しかも医業類似行為の制限につきましては、法律二百十七号第四条及び第五条によりまして、これは手術及び投薬を禁ぜられる、また医師の同意を要する場合を定められております。これらは狭い意味、狭義の医療の範囲ともまた解釈できるのであります。またこれらのことは国民の教養の程度にも関係するのではないかと考えるのでありまして、すでに売薬が認められております。また医師でなければ処方せんを書くことはできないことになっておりますが、この種の処方せんにつきましては、だれでも発行のできるいわゆる国民処方というものもめ定られておる。また先ほど来整形外科のお話がありましたが、明らかに整形外科の範囲であります柔道整復のごときも医業類似行為と認められておるのであります。
 第二のあんまと指圧との関係につきましては、これは治療の原理につきましてはあるいは非常に似ておるところがある。また方法にも似ておるところがあるかと考えまするが、元来あんまとは何ぞやはりとは何ぞや、きゅうとは何ぞやという定義は明らかにされておりません。これの定義をあとから次々と作っていけば、あるいはあんま、はり、きゅう、柔道整復は含まれるかもしれませんが、この点は私どもは必ずしも承服できないのであります。また指圧はあるいはあんま等の影響は多少受けておるかもしれませんが、今日治療を受けておる人の立場から考えますると、必ずしも業者の言われるようなことでなくて、実は自分はあんまを受けておるつもりで指圧を受けた、あんまの中に指圧は入っておるのか、あんまの方はしてくれなかった。指圧もどうも同じような連繋もあるのじゃないかと思いますが、これらは要するに社会進化の原則は分化分業でありますので、おのおの特長とするものが分化分業してきたのではないかと考えます。また警視庁令、二百十七号につきましても、先ほど申し上げましたように「その他のもの」として、明らかに医業類似行為、指圧等はあんま、はり、きゅうとは区別されておるのであります。
 その次の第三の指圧とその他の手技及び刺激療法との関係ということにつきましては、先ほどこの解釈は不明瞭であるというお話もたびたびございましたが、これは医業類似行為の中の指圧その他の関係ではないかと考えます。それにつきましては、これは治療の原理は全く同一であります。ただその手段方法として相違があるのであって、多数の療術業者はこれらを兼業しているものも少くないのであります。なお、これらの原理につきまして経穴、経絡によっていないということが特徴であります。
 第四の医業類似行為の修得方法及び営業の現況につきまして申し上げます。医業類似行為の中のあんま、はり、きゅう柔道整復につきましては、先ほど来いろいろお話がございましたので省略いたします。療術の場合につきましては、これらは学校教育と試験免許の制度が必要であるということを私どもはすでに数十年前から感じまして、このことを政府当局その他にたびたびお願いいたしてきたのでありまするが、不幸にして今日までまだ実現されるに至らなかったのであります。そうしてやはり昔の医師、弁護士、あんま、はり、きゅう等のように、やはり発生当時の状態はやや似たものがありまして、内弟子とか講習とか、不完全な教育を免れなかったのであります。しかしながら私どもには皆様のようなりっぱな肩書もありません。あるいは死亡診断書を書くというような権利もありませんので、万一間違いを起したならば大へんである。信用もありません。従って実力にたよる以外にないのでありまして、学校に行かないができるだけの勉学は努めてきたのであります。幸いにいたしまして社会の信用も得まして各階層の御支持を得ておるのであります。なお国会内におきましても先生方の治療に従事いたしまして、そうして国家のために御健闘願っておるような次第であります。
 なお、制度においては届出制でありましたが、その後の厳重な取締りが行われまして、これは免許制にも劣らないような取締りを受けておりまするので、幸いにして今日まであまり間違いを起さずに参ったような次第であります。
 第五のあんま師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法の公布(昭和二十二年十二月)以来、昭和三十年十二月三十一日までの医業類似行為業の暫存期間(八年間)をいかに解決したか、この点につきましては、私どもは必ず私どもの多年やってきた業務が復活をされるとかたく信じてきたのであります。しかしながら私どもは決して法律を守る意思がなかったというようなことではないのでありまして、これは多年の職業が何ら社会に危害を及ぼさなかったという場合には、これは必ず日本の憲法で守ってくれる、またりっぱな日本の基本法律となりまする憲法でさえも改正することができる、あるいは最近お話を承わりますと、医薬の分業の法律のようなものがたびたび改正の議が出ておるようなわけであまりして、必ず私どもの希望する線に改正される日が来たることを信じておったような次第であります。
 なおこの法律の出たときには、私どもはこれには反対をしたのであります。しかしながら占領政策であるからやむを得ない、これは至上命令であるというようなお話も承わりまして、これは不可抗力であるというようなことで、いずれはこれは是正されるものだという考えのもとに、今日までそれを期待して参ったのであります。なお先ほども松本参考人から申し上げましたが、当局のたびたびの言明がありましてこれを信用いたしまして、そして業務の改善にひたすら努力したのでありまして、この八年間を決して私どもは惰眠をむさぼって空費したわけではなかったのであります。また厚生省当局におかれましても、この私どもの意思をよく御参酌下さいまして、そして私どもの再教育には用紙の少いときにおいて用紙の特別配給をしてくれましたり、あるいは多額の国費を費して調査研究をして下さったというようなこともあったのであります。なおこれは厚生省、国会、その他におきまして今日失業対策がやかましく言われておりますので、私ども全国一万数千人のものが同時に失業するというようなことになる場合に、必ずや、これにつきましてはあるいは職業の補導とか、あるいは転業資金を準備されるとか、そういったような措置も必ずある。それができないのだから私どもは転業を期待してないということをかたく信じておった次第であります。
 次に、第六の改正による三年の延長期間内において、指圧を除く、医業類似行為業者(電気、光線、温熱、その他の業者)は、あんま師試験の受験科目及び技能について修得し得るかどうかということでありますが、この点で私どもは特に申し上げたいのは、何ゆえに電気、光線、温熱その他の業者が軽視されるかということであります。この点につきましては、私どもはいまだ納得がいかないのであります。なおあんまに転業せよということでありますが、業者の中には老齢の者もありますし、病気している者もあります。そのようなために、これは熟練を要するものでありますので、ただ技術の修得をすれば、その日から飯が食えるということではないのでありまして、これは非常に困難ではないかとただいまから心配しているわけであります。なお療術につきまして、特にこれらの電気、光線、器械器具等につきましては、世上非常な誤解があるように私は考えるのであります。中には非常に危険なものだと思っている。また中には非常にこれらは高級なものであって、とうてい医師以外のしろうとのものが使用できるものではないとお考えのような方もあるのじゃないかと考えておりますが、これらは今日すでに家庭用としまして市中に販売されているものであります。多くはそういったようなあまり高度なものは使っていないのであります。電気につきましては、先ほど来あんま、はり、きゅうでも使用しているというお話でありますが、感伝、平流、高周波を用いまして、弱電流をもって身体に弱い刺激を与えるというようなものでありまして、これは技術的にも出力において制限ができるのであります。また光線におきましては電球、アーク灯を使用しておりまして、これはこの光りというものは地上における日光程度のものでありまして、しかも波長においてこれは制限をすることもできるのであります。また温熱刺激につきましては、温熱はこれはきゅうのうちだ、刺激ははりのうちだということを申されましたが、これも非常に拡大解釈されているのじゃないかと考えるのであります。温熱におきましては温湿布のようなものを主として使用しております。温湿布はこれはおきゅうであるということは社会の通念から考えられません。しかもやけどをしないということが条件になっておるのであります。また刺激におきましても、小さな器具を用いまして皮膚の表面に刺激を与えるものでありまして、これも先のまるいもの、先の広いもの、これもはりであるというようなことはこれはとうてい考えられないのでありまして、これは皮膚に傷をつけないというような程度のものを使用いたしておるのであります。なおこれらの器械、器具、電気、光線等につきましては、従来、戦前は届出の際に図面、性能等を添付することになっておりまして、勝手にいかさまなものを使用することができなかったのであります。なお特につけ加えたいことは、これらのものが、あらゆる病気にきくというようなことはあり得ないということでありますが、これは他の医業類似行為――あんま、はり、きゅう、柔道整復と同様でありまして、もちろんあらゆる病気にきくものではありません。しかしながら危害が非常に針小棒大、誇大に宣伝されておるために、それが国民保健のために貢献されておる面が非常に閉却されておるという点については、私は非常に残念に考へておるのであります。なおこれらについて試験の方法がないというようなことを申される方もありまするが、先般衆議院の社会労働委員会におきまして、三沢教授のお話を承わりますと、これらの物療に類するものは物理療法の原則について試験を行うことができるのであると、こまかなことは必要がないというようなお話もありますので、私は意を強くした次第であります。
 次には、最後の医業類似行為の業態は、医学上の理由から禁止すべきであるか、あるいは社会的に認める必要があるかという問題であります。これは非常にむずかしいい問題であります。先ほど申し上げましたように、これは理想から申し上げましたならば、これらは全部禁止すべきであります。明らかにその必要があると思いまするが、現実はそうはいかないのでありまして、やはり何らかの方法においてこれを認めるということが現実に即した方法ではないかと考えます。なお、根本問題は、先ほど参考人からのお話がありましたが、世の中には医師とあんま、はり、きゅう、柔道整復だけがあれば、その他のものは必要ないと、その他のものがあるわけがないというようなことをお話ありましたが、実際ににあるのであります。これに現実な問題でありまして、これに何ゆえに業者が医師、あんま、はり、きゅう、柔道整復というようなりっぱなものがあるにもかかわらず、社会に発生したかということが根本問題であろうと思うのであります。この点につきましては、業者にもいささか罪があるかもわかりませんが、これに社会もそれらを要求しているということにも多少の責任がないとは言われないと私は考えるのであります。なお先ほども申し上げましたが、器械器具、電気、光線のようなものは、今日ではあまりお医者さんの方ではお使いになっていないというような種類のものが多いのであります。
 今後の問題につきましては、ただいま全国の業者一万数千人及び七万入の家族がまさに死活の関頭に立ちまして、日々不安な生活をいたしております。これはどこに訴えたらいいか、天に訴え、地に叫び、その声が私の耳にもただいま入るのであります。どうかこれらの点につきましては先生方の御判断に訴えまして、一つ何分の御処置をお願い申したいのであります。
 いろいろ申し上げたいのでありまするが、時間がないそうでありまするので、私は簡単に以上の通り苦哀を述べた次第であります。終り。
○委員長(小林英三君) 次は、日本指圧協会会長の浪越徳治郎君にお願いいたします。

○参考人(浪越徳治郎君) 私は指圧に関係するものでありますから、主として指圧の問題について私の所見を申し述べて皆様の御参考に供したいと存じます。
 今回政府が提案されましたあん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法の一部改正案なるものを拝見いたしますと、第一条中に、「「マッサージ」の下に「及び指圧」を加える。」、これが今度の改正案のおもなる点であります。私どもの立場からこれを見てどう感じたかと申しますと、善意にながめますと、この法文の中に指圧という文字が入れられたことは、指圧が認められたことでこれは大へんうれしかったのであります。いまだかって日本国の法律の法文の中に指圧という文字は出てこなかったのであります。その意味におきましては、とにかく今度の改正法案のおもなる点として指圧を取り上げたということは、政府自体も指圧の存在をはっきり認めた証拠であります。この点で私どもは日ごろ指圧の業務に打ち込んだかいがあったと喜んだものであります。ところが、ところがであります。ただ一つ遺憾な点があるのです。それは指圧をあんまの中に入れて、あんまの試験をわれわれ指圧業者に受けよというこの一字であります。この点ははなはだ迷惑であります。私どもは断じて承服のできないところであります。これは結局指圧に対する認識不足というところからきた結果だと存じます。私どものこれから説明いたしますことをよく聞いていただきまして、そしてまた社会の実情をも十分に観察していただいて、指圧に対する正しい認識を持って正しい法文を作っていただきたい、これが私どもの希望するところであります。今や日本国において、いな漸次世界的となりつつありますが、この指圧の存在というものは何人といえども否定のできない厳然たる事実であります。一番身近な例をとりますと、この国会の中にも指圧室が存在して、議員の皆さんが御利用しておることは、御承知の通りであります。そのほか社会の木鐸といわれる新聞社、たとえば朝日新聞社の中にも指圧室が設けられております。最も知識層、紳士層が出入りするといわれる交詢社の中にも指圧室があります。また時代の感覚が一番鋭敏に感ずるといわれる兜町の取引所の中にもちゃんと指圧室が設けられ、それぞれ指圧の恩恵を受けている。この事実を見ていただきたいのであります。この人々はあんまと指圧を区別して受けておられるのであります。もしもあんまと指圧の区別を公平に判断してもらうなら、これらあんまも受けた、指圧も受けたという第三者の国民大衆に判断してもらうことが一番正しいのであります。適者生存という言葉があります。もし国民大衆の支持がありませんでしたら、私ども指圧業者は今日おそらく姿を消しておったでしょう。あの昭和二十三年一月一日公布されたこの法律の二百十七号の発布によりまして、私ども指圧業者はどんなに受難の道を歩んだか言葉には尽せないのであります。すなわち、先日も高田医務局次長が言明されましたように、この法律の立法精神は医業類似行為者の転廃業を目的としたのだ、そうしてこの八年間を転廃業の意思を持って続けてきたのだ、こういうお気持からこの八年間は私どもに冷淡なる態度で臨まれたのであります。そしてまた一方には、全国七万と称せられるあんま業者からは、指圧はもうだめなんだよ、昭和三十年に禁止されるのですよと、あのめくらめっぽうな宣伝力で、全く会う人ごとに、つかまる人ことに悪宣伝をせられてきたのであります。大ていのものならこれほど猛宣伝をされましたら八年間にはつぶれてしまっております。あるいは厚生省の一部の方もこれを期待していたかもしれません。あんま業者もそう信じたからこそ、われわれの業者排撃に馬力をかけたのでしょう。どうでしょう。八年後の今日事実どうだったでしょう。事実は相違して、指圧を信頼される国民は日増しに増加して、信頼の度が深まり、しかも最近では外国からさえわざわざ日本の指圧を習いに来ているという現状を御存じでしょうか。識者はよく認めておるのであります。そこで私はあらためて政府要路の人々、あんま業者の人々に提案申し上げます。政府では二百十七号の制定によって業者は転廃業するものなりと、この八年間においては転廃の見込みをつけてその態度をとっておられる。ところが依然として今日厳然としておるこの事実、これを見ていただきたい。あんま業者の方々にも、あなた方があれほど努力して排撃されましたにもかかわらず、この指圧業者が厳然として国民の支持を受けておるというこの事実をもう一度見直していただきたいのであります。また私があんま業者にもう一言申し上げたいことは、あんまの人々が指圧業者がふえますと自分のあんま業が衰えてお客が減るのではないかという不安と焦燥から、こういうふうに指圧を排撃されたかとも思われるのであります。私ども最近の調査をいたしますと、最近の指圧業者が発展しておりますと同じようにあんま業者も発展しているという事実をつかんだのであります。その一例では、私どものところへあんま業者から、方々からとても忙しくて手が回らないから助手をお願いするという御依頼がたくさん来るのであります。しかしお気の毒ながら、私どもは指圧を教えておるので、あんまを教えておりませんから、お気の毒ですがあんまの御依頼には応じかねております。その点をよく認識されるならば、いわゆるあんまさんにかかるお客さんと、指圧を求めるところの患者さんとは、そのお客層が違うということであります。そこにお気がついたならば、何も排撃することはないのであります。日本人本来の精神に立ち戻っていただいいて、そうして共存共栄の道を踏んでいただきたいことを私はこの席からお願いいたします。そうして私は国会議員の皆様にお願いいたします。どうぞこの現実をよく御観察、御認識下さいまして、私どもが要望いたしておりますところの、この法案の中に指圧師という三字を加えられ、あん摩師、はり師、きゅう師のごとく、指圧師として堂々の御取扱いをされますよう御懇願申し上げます。
 以上はきわめて概念的抽象論のようにとられますが、実はこの社会的事実こそが現実に即する現実政治の根本的あり方であると私は信じておるのであります。
 次に、私はこまかいところの指圧とあんまの相違点でありますが、先ほどから時間の詰まったことを言われますので、詳細は省きます。私は刷物を刷って六カ条あげておりますから、いずれ皆様にお目を通していただきたいと思います。その名称だけ申しますと、まず第一、あんまと指圧の相違点に名称の相違がある。指圧とあんまは、いわゆる名は体を現わすと言いますが、結局内容の違うところ名称も違うのであります。また歴史的な相違があります。あんまというのは、御承知の通り大百科事典をごらんになりましても、また医科辞典をお読みになりましても、あのシナから渡来して、奈良朝時代に渡って、そうして師匠から弟子へ、弟子から弟子へとその技術が伝承されてきたということは、何人もいなめない事実であります。ところがこの指圧は、何らあんまの影響を受けることなく、いわゆる人間の本能的操作、たとえば頭が痛ければ頭に手が行く、歯が痛ければ歯を押える、腹が痛ければ腹を押えるという人間の本能的操作に由来しまして、自然発生的に生れて随時行われ、自分の病気、肉身の病気からこれが行われて今日の発達を見たのであります。大正年代アメリカのカイロプラスチックの原理を取り入れて、指圧と呼称して今日に及んでおる。歴史はきわめて浅いものでありますが、かように歴史的相違があるのであります。また施術法の相違は、まさに、先ほど申されましたごとく、あんま、マッサージが六種、七種の種類を持ち、おのおのその種類により内容が異なっておりますが、この指圧は読んで字のごとく、指で押すという単一方法であります。そこが問題になりますが、先ほど芹澤さんは、指圧の圧迫は単に神経機能を抑圧するという目的であるときわめて学問的な御発表になりました。それはまことに貴重な文献と思いますが、お気の毒ながらまだ芹澤先生は指圧というものをほんとうに御研究になっていないところから出る結論でありまして、私ははばかりながらかってあん摩法違反に問われまして警察に抑留されまして、検事局に書類を送られ、少年がゆえに不起訴となり、私は意を決してあんま術を習いました。東京の新宿区の小田川義松という師匠について四年間の修業をいたしました。あんま、マッサージの試験を大正十四年三月、この馬場先門の警視庁において試験を受けて合格して免許を持ったものであります。私は四年間あんま、マッサージを身をもって修業したものであります。その結果、四年間の修業をするに及んで、ますます指圧とあんまの相違を身をもって体験した一人であります。それゆえに免許をとりつつ私は指圧と名乗り、何らマッサージ、あんまを名乗らず、あんまの組合にも入りませんでした。昭和十年警視庁において、あんまと指圧はどう違うかという質問に対しまして、私は言いました。先ほどからいうところのあんまの発達過程、いわゆる指圧の発達過程との相違、技術の相違、やり方の相違、すべてをやりましてそこに認識を得られましたので、その場で私はあんま術、マッサージ試験のいわゆる免許を御返納申し上げたのであります。かくのごとく私は指圧というものを信じ、指圧をこの世に広めたいという信念で参っておる一人であります。その意味から言いますと、あんまにおけるところの圧迫は、今いかように御解釈なさいましても、私どもがその試験を受けたときには、マッサージにおける圧迫法とは強度の刺激を必要とするときに用うと教えられております。今日その意味が変ったとしましても、一歩譲って、芹澤さんの言うがごとくに、圧迫法が神経をして抑圧せしめるという意味ならば、これは真の指圧を知らないからであります。指圧の行うところは、麻痺しておるところの神経に対しては発奮せしめ、興奮せる神経に対しては抑圧できましょう。この両者を兼ね得るところに指圧の妙味があるのであります。もし良心的な芹澤さんが指圧の門に入って一年も御研究になったら、がく然として指圧の真価をお認めになって、この指圧療法にはせ参ずるだろうと私は信じます。(笑声)
 それから第五段に、社会通念の問題でありますが。これは先ほど申し上げたごとくに、国会内の治療室においても、あんま指圧は区別して扱われ、もし手近にあれば、職業別の電話帳をひもといてごらんなさい。「あ」の部を見ればあんまが出ております。「し」の部には指圧が出ております。大百科事典を見てもやはり「あ」の部にはあんまの歴史が出てくる。「し」の部には指圧がちゃんと出てます。こういう事実は社会に通っておる事実なんです。この事実を押し曲げて物事をするということは私どもは賛成できない。
 次に、新しき酒は新しき皮袋にという言葉があります。明治四十四年に初めてあんまの規則ができました。そのときに目の見えない盲人は、二年の修業年限であんまの試験が受けられたのです。ところが目の見える正眼者は四年の修業年限の証明がなければ、あんまの試験を受ける資格がなかったのです。こういう常識はずれのこの矛盾は何によってくるか。明治政府がとったところの盲人を保護する立法精神に基いたものであります。この五十年前の盲人保護という立法精神を、この時代の進んだ、民主主義か流布されている今日、厚生省当局がいまだにそのからから抜け出せないということは私には考えられない。もっと広い意味において、指圧の存在というものをもっと認めていただいて、そうして厚生医療は国民の健康体位を向上するという本来の目的に向って立法していただきたいと思うのであります。
 最後に、この七月十五日に、私どもは指圧師総決起大会を開きましたそれは政府当局に対して、本案の検討をいたしまして、われわれは今後いかにすべきかということをいろいろ論議した結果、次の決議をしたのであります。その第一の決議には、
 一、われらは今回政府提案の法律第二百十七号一部改正案に断固反対する。
 これはいわゆる川カッコして「マッサージ」の下に「指圧」を入れるというこのこそくな方法に断固反対しておるのであります。
○委員長(小林英三君) 時間が来ております。
○参考人(浪越徳治郎君) 二、われらは指圧師法制定に総力を結集してその実現に邁進することを誓う。
 これば私は単独法を望むのであません。今のあんま師、はり師、きゅう師のほかに、指圧師という名称を入れてもらいたい。ところが先ほど藤井先生が非常にいい提案をされた。
○委員長(小林英三君) 浪越君。
○参考人(浪越徳治郎君) これで終ります。手技操法という言葉がある。この中に入れたらどうか。私全面的に賛成いたします。
 もう一つ最後に、
 われらは不幸にして政府原案通過したる場合もあんま術試験は断固受けざることを誓う。
 このことをはっきり申し上げます。私どもの決意はここにあります。二百十七号制定当時、指圧業者は転廃業するお見込みをもって作られ、今度この法律をやるとあんま術試験を受けるというお見込みですか。このお見込みは大へんな見込み違いであるということを御認識願いたい。
 以上をもって私の説明を終ります。
○委員長(小林英三君) 最後に、東京大学医学部教授三木威勇治君にお願いをいたします。




○参考人(三木威勇治君) 私は医学の教育をやっておりますものでございますので、社会的のことには至ってうといかと存じます。ただ理論的のことのみ申し上げます。
 第一項の御質問は、法律的の定義は私はよく存じませんが、医療行為というのは、医師自身または医師の処方によって行う治療行為を意味するものと考えます。医業類似行為の方は医師以外のものが病気の症状に対して何らかの施術をする行為というふうに解釈しております。従って行為そのものは似ておるし、また同一の場合もあることは当然であります。ただ医療行為の場合には、医師が病気または病人全体を把握しておりまして、治療の一環として、たとえば物理療法を行います。従って物理療法の中でも、あんま、マッサージまたは電気、光線療法というこの選択の自由が医師の手にあります。しかし医業類似行為では、特定の方法がきまっておりまして、痛みならば痛みという一つの症状に対して行われる行為でありますので、この選択の自由に欠けているという点が違っていると存じます。すなわち医学でいいます治療の適用という点において、医業類似行為は欠けているのであろうと私は信じます。
 次に、あんまと指圧の関係でございます。特に私はこの方面の研究をしておりませんので、的はずれになるかも存じませんが、私の承知しておりまするあんまというのは、日本式あんまと西洋式のマッサージとが合併して行われておる手抜でありまして、先ほど芹澤さんが言われましたのを漢字で申しますと、軽擦法――軽くこするとか強擦法、揉握法――こね回すとか、叩打――たたく、振顛――ゆすぶるというようなそのほかに、これは西洋式マッサージで使われておる手技でありますが、伸展法あるいは圧迫法というものを、これはなくなられました金子博士が加えられております。従って医学的に考えますと、血液またはリンパ液の循環をよくいたしまして、それによりましていろいろな病気の回復をはかる、痛みもとれましょうし、またある場合には筋肉の力も増してくるというわけであります。これに伸展法なり圧迫法というものが加わります場合には、これは私整形外科でございますが、整形外科の医者がやっておりますたとえば坐骨神経痛に対して伸展法を用いますとか、また圧迫法、これは現在私の知っておりますところでは、マッサージ、あんまの方ではあまり用いられていないようでございますが、やはり神経痛みたいなものにも一部用いられているように存じております。で指圧というのは現在から申しますと、ストレス・テォリーというようなものが出て参りましたが、また新潟大学の生理の高木教授などは、圧反射ということを御研究になっておりまして、皮膚をつねりますと、それによつて自律神経、汗の出が違ってくるとか、また筋の緊張が変って参りますとか、また内臓に影響を与えるというようなことが知られてきておりますので、この原理を利用されてやっておられるものと考えます。で、現在の状態では、あんまというのがマッサージの方に幾分傾いているのではなかろうか、で、日本式のあんまで伸展法でありますとかまたは圧迫法というようなものがもとになりまして、先にもお話がございましたようにカイロプラチックというようなものが加わってきたものが、指圧法という形で出て、きたのではなかろうかと考えおります。
 第三のお尋ねでございますが、私は刺激療法というものを非常に広く考えております。指圧も刺激療法でございます。これは機械的の手の圧力というものによって起りますところの刺激であります。きゅうは先ほどからちょっとお話が出ましたが、これはきゅうによりましてそこにやけどがある程度起きます。そのための化学物質が化学的の刺激となって刺激を与えるものであるというふうに考えております。ただその他の実技の中にもしカイロプラクック、さっきお話のありましたようにオステオパシーというようなものを入れますならば、これはむしろ私はマッサージに近いものであろうと考えております。カイロプラクチックの実技というものは、私詳しくは存じませんが、私ども整形外科の方でも適応によっては応用いたしております。たとえば椎間軟骨ヘルニアというようなものがございまして、軟骨が神経孔を圧迫しますために坐骨神経痛を起したような場合にこれが使われております。しかし先ほどから御説明がありましたように、簡単な半脱臼を起すということは医学常識上私はどうしても考えることはできません。
 あと四、五、六につきましては、私の申し出るところはほとんどございませんが、第七の医療類似行為の業態は、私も医学者の一人といたしまして、これは禁止すべきものであると考えております。ただ、もしこれを社会的に認める必要がありますならば、たとえば看護婦またはレントゲン技術者というように医師と共同して、医師の協力者として残していただくならば、これはあんま、はり、きゅうまたは柔道整復、電気、温熱そういうものというふうななわ張りをはずして私どもの方では大いに協力したいと考えております。
 以上申し上げます。
○委員長(小林英三君) ありがとうございました。
 それではただいまより参考人のお述べになりました点につきまして、委員諸君からの質疑をお願いいたします。
○竹中勝男君 簡単でけっこうですけれども、先ほどの指圧師会長の浪越君の最後に言われたもし指圧という言葉を入れてこの改正案が通過するならば、この指圧師はあんま師の試験を受けないということは確認していいですか。
○参考人(浪越徳治郎君) 何ですか、もう一ぺん。
○竹中勝男君 あなたがさいぜん、最後に、もしこの法律案が通るならば、指圧師はこの法律に従わないと言われたのですが、それを確認していいですか。
○参考人(浪越徳治郎君) その通りであります。
○相馬助治君 私関連して。浪越さんに質問が出たですから関連してお尋ねいたしますが、この指圧がいいか悪いかというようなことを抜きにして、私は事実問題を特にあなたに尋ねておきたいと思うのです。というのは、今の竹中委員の質問に対して断固としてお答えになっておりまするから、これは影響するところきわめて重大だと思うので、以下お尋ねします。浪越さんは最近指圧学校という学校をお作りになって養成をされているやに承わっておりまするが、事実でございますか。



○参考人(浪越徳治郎君) お答えいたします。私は昭和十五年の二月十一日、いわゆる紀元二千六百年を記念いたしまして日本指圧学院というものを創設いたしました。そうして指圧師を養成いたして参りました。今回だんだんと制度が高まって参りまして、私の信念ではおよそ指圧師法案が通るという見込みのもとに、どうしても将来に備えて学校を作っておかなければならないという考えから、私は指圧学校の設立認可を昨年の七月二十九日に東京都へお願いをいたしました。いろいろとすったもんだありましたけれども、本年の二月にその認可が下りました。六月の一日を期しまして、日本指圧学校という名前をつけて開校いたしております。
○相馬助治君 その指圧学校を正式にまじめに卒業した者は、現行法が規定するあんな術試験に合格し得るものですか、全く範疇が別ですから合格しないとお認めでございますか。
○参考人(浪越徳治郎君) 私はあんまの手はただ一つも教えておりません。指圧のみを教えておりますから、私の学校を二年卒業しましてもおそらくあんまは落第すると思います。またあんま術は受験させません。その意思がありません。
○相馬助治君 実は先ほど来申します通りに、指圧がいいか悪いかということはしばらくおきまして、日本は法治国家であり、また極端な言葉をいえば、たとえば悪法も法であって、そういう形においてあなたの学校を出られて営業者としての将来を期待して勉強する子弟が、現実にあると、かように存じますが、現行法によれば昭和二十三年度に届け出でた以外のものは営業できないという法の建前上、このことを入るものには全部納得させてしかる上で教育されておりますか。どのようなことになっておりますか承わりたい。
○参考人(浪越徳治郎君) 私は現在の法規を十分に知っております。それゆえに入学者にも現在の法規をよく説明いたしております。そしてしかもこれを習いに来る者は御自分が病気であるか、一家族に病人があるか、もっと学問的に指圧を研究したいという人々が参っております。そして将来指圧師法が通ったならばこの試験を受けようという人もおります。また別に職業として立たなくとも、ほんとうに学究的にこの指圧を掘り下げていきたいという好学の士もたくさんあることも事実であります。
○相馬助治君 私は練達の指圧というもののお世話になった経験をもっております。また指圧というものが相当すばらしいということも知っております。しかし私は立法府に席を置くものとして心配いたしますることは、あなたの善意の意思にもかかわりませず、もぐり業者を養成し、法律違反を起す者が出ることが懸念されるように思うのでございますが、このことは指圧師法が直ちに生れるという前提に立つならば、さようなことはないと思うのですが、先般の委員会におきまして私は厚生当局の見解をただしました。それは指圧師というものをあんま師の下にカッコして書き加えることによって指圧師自身が非常に勉強をし指圧師の手練に上達し、患者をなおす自信がついたとしても、この者が指圧師だけで試験を受けて現行法で免許される道があるかという質問に対して厚生当局のお答えは、残念ながらこのことは困難であるという趣旨の答弁でございました。私はいいか悪いか、厚生省のこの見解が妥当であるかないかということをここで問題にするのではなくて、現行法においては、その厚生省の答えのほかにやむを得ないというふうに今考えたのでございますが、これらの点について浪越さんはその学校が認可されたということでございまするが、どのようにお考えでございますか。
○参考人(浪越徳治郎君) 私はあくまでも指圧師法が通るものと信念を持っております。官尊民卑の昔はいざ知らず、浅学でありますけれども、今日は民主政治下だと思っております。正しい民衆の輿論というものが政治に反映されると思うのです。政府で立法されたものをそのままうのみすると考えること自体が、今日の、今の政治現状からの矛盾だと思っております。その意味で、私は、議員の皆様のはっきりとした認識をもっていただきたくここにまかり出たのでありまして、そういう意味で、もしも不幸にしてこれが通らなくても、私の門下生でも、私はやはり違反者は厳に注意しております。しかしながら、先ほど相馬先生が言われたごとく、その末端の一、二の者が違反行為を起したとするならば、それは私の意思じゃございません。本人の心得違いであるから、十分御処罰願って何ら差しつかえございません。
○榊原亨君 浪越さんに私お尋ねしたいのでありますが、先ほど、この政府原案が通った場合には、指圧としては、どう申しますか、あんまの試験を受くる意思がないというお話でありました。そのことは、相馬君によってさらに確認されたのでありまするが、そういたしますると、あなたのおっしゃいましたその趣旨は、ただいまございます指圧と名づけて免許を届出によって許されておるところの全国の指圧師の御意見を代表しておられるんでございまするか。あるいはまた一派としての御意見でございまするか、承わりさしていただきたいと思います。
○参考人(浪越徳治郎君) 私の知っている限りにおきましては、全国の組合は、全国療術協同組合というものがあります。これはその前身日本治療師会と申しまして、私はその創立当時から関係いたしております。終戦後全国療術協同組合、全療と申しておりますが、一応歴史を持つ大きな団体であります。私はその教学委員長をいたしております。そのほかにいろいろな団体もあると聞いております。先般手技療法協会として松原秀雄君が名乗り出ておりましたが、その実態は私もよく知りません。しかしこの人ももと私どもの同志であったことも事実であります。この松原君は、この指圧師法案はけっこうだと言ったことは、松原個人としての意見であると思って私は憤慨いたしております。そのほか私が関係しております日本指圧協会がございます。これは相当な数でございまして、あるいははっきりした数字は――あれはでたらめだ云々という誤解を受けますから、会員と私の信ずる友人とをもって、昭和二十三年の一月十日に日本指圧協会というものを結成いたしております。その日本指圧協会の総決起大会における決議でございます。
○榊原亨君 そういたしますると、先ほどから浪越さんのお話にございますその意思は、日本指圧協会の決議と申しますか、指圧協会における御意見でありまして、全国におきまして、そのほかに指圧と称せられるいろいろな方々がおるんでありますが、それらの方については、はっきりわからぬということと了解してよろしゅうございますか。
○参考人(浪越徳治郎君) 人の心でありますから、私の気持と同じとも言えませんし、またそうでないとも断じられません。
○榊原亨君 芹澤さんにお尋ねするのでありますが、ここにマッサージカイモグラフというものをお回しいただき、ここにも印刷物が回っておるのでありますが、これは、先ほど、このカーブはこの六つの稀類しかないのだとそこで、このカーブを見れば、指圧のときの押し方とマッサージ、あんまのときの押し方とが同じであるというような御意見のように拝聴したのでありますが、さよう了解いたしてもよろしゅうございますか。
○参考人(芹澤勝助君) 私どもは、マッサージの基本手技を六種に分け、これに、三木先生からお話になりました伸展運動法が加わる場合があるのでありますが、これはやマッサージ・カイモグラフで分析いたしました結果、大体マッサージにおける圧迫法は先ほどお回しいたしましたカーブ以外に、どういう押し方をしても他の分類にならないものであります。
○榊原亨君 私はこの器械を見たことがまだないのでございますが、ここの絵に書いてあるところを見ますというと、空気枕のようなものを押すことによってカイモグラフに描写がされるということでございますが、こういう空気を伝達したことだけで、これらの押し方の性質がはっきりするということは、学界的に認められましょうか。その点につきまして藤井先生でもよろしゅうございますし、三木先生からでもいかがでございましょうか。
○参考人(藤井尚久君) 私もカイモグラフをよく存じておりません。しかしこういうような装置をわれわれが日常血圧をはかることに大体用います。これに類似のものを。これは今榊原委員が言われた通り非常に複雑であります。ある一定の場所に圧力を加えますということは、単純なるパスカルの原理で行くか行かないかということは非常に問題でありますことに御存じのように、近来理学理論が非常に発達いたしまして、いわゆる在来の物理的の理論は古典的理論となり、相対性原理が通っております今日、そういいましたものだけでは私は言い得ないものと思います。
○榊原亨君 芹澤さんにもう一つお伺いしたいのでございますが、あなたの学校では、マッサージの実技とあんまの実技を別々に試験をされ教育をされておられますか。あるいはあんま・マッサージとして総括して実技を試験され教授されておられますか。その点承わりたい。
○参考人(芹澤勝助君) ただいま全国の盲学校の理療科・あんま・はり・きゅう科は六・三の上に五年の課程を持っておりますが、昭和二十六年文部省が制定されました理療科指導要領に基いてやっておりますあんまの授業は、あんま(マッサージを含む)、こういう理論で教えまして、その中の小単元の中にはマッサージより分化した各種用手療法との関係という一項を設けて、この中で私どもはマッサージより分化したも応としてオステオパシー、スポンジロセラピート、さらに指圧というような項目の指導を行なつております。なお実技については、あんまとマッサージは全く別の体系の指導要領に基いて教えておりまして、これは私の学校でなく、文部省が厚生省との合意の上で作った指導要領に基いて指導しております。
 それからもう一つ、ゴム球セットというお話でございますが、その中の説明をお読みになっていただくとわかりますが、大体このゴム球セットは前腫と同じ大体長さ、それから太さにしてあります。これを紺野式の筋硬度計ではかりまして、大体私どもは成人の男女の筋硬度計で四十から四十五の実験値に押えまして、この実験値を出すまでこのゴム球セットに空気を入れて、前陣の筋硬度とゴム球セット内の空気が一致するときに、初めて前腫に行うマッサージと同じような手技を行なった場合に分析されるのであります。これはたとえば腹部であれば、腹部の筋硬度をとりまして、筋肉の実験値を読みまして、それと同じ筋硬度になるまでの緊張した状態まで空気をゴム球セットに入れまして、これにマッサージを行なって分析した一つのカーブでありますから、一応申し上げておきたいと思います。
○榊原亨君 先ほど芹澤さんのお話によりますというと、実技の試験あるいは実技の教授につきましては、マッサージとあんまと別々にやっておられるということを了解したのでありますが、この際私は、これは重要な一点でございますので、厚生省からこのことを聞きたいのでありますが、委員長お許し願えますか。
○委員長(小林英三君) 差しつかえございません。
○榊原亨君 それでは厚生省当局、この点はさようでございますかどうか、はっきりお答えを願いたい。
○政府委員(高田浩運君) あんま師試験の科目等については、資料として御提出申し上げておりますが、その中にありますようにあんま理論、それから実曲試験としましてあんま実技というのがありますが、このうちにそれぞれ一本として処理をいたしております。
○榊原亨君 ただいまの厚生省のお話、と、芹澤さんの御答弁とは違うように私は思うのでありますが、芹澤さん、厚生省の御答弁がいいのでありますか、芹澤さんのお話が正しいのでありますか、はっきりお答えを願いたい。
○参考人(芹澤勝助君) 実際には厚生省から正規には試験科目その他あんま理論、あんま実技としてあります。文部省の実際に定めました盲学校指導要領に基きましては、あんまとマッサージの実技はおのおの別として指導しております。さらに東京都におきます試験の場合を、私は試験委員の一人として申し上げます。厚生省からのはあんま理論、あんま実技とありますが、実際あんま理論を一と二に分けまして、あんま理論、実技の一は、古来の日本あんまの純粋な手技を行う実技であります。あんま実技二は、西洋式のマッサージの純粋な実技をとりまして、これを総合したものをもって東京都試験では現実にあんま実技として評価しておる現状であります。
○榊原亨君 この点につきましては、厚生省御当局のお話が少し食い違いがあると思うのでありますが、今日は参考人に対して御質問をすることでございまするし、時間が切迫しておりますので、御迷惑でございまするから、厚生省当局のお話につきましては保留させていただきたいと思っております。
 次いでもう一点私は伺いたいのでありますが、先ほど松本さんでございまするか、オステオパシーあるいはカイロプラクチックのお話をなさったかと聞いておりますが、先ほど三木教授のお話によりまするというと、やはりごく軽度の脊椎がゆがんだとか何とかいうようなことは学理上は考えることができない。また先ほど藤井教授のお話によりましても、これは一つの筋肉の反射である。その反射の点を押えて症状が軽快すれば自然と症状的な脊椎の彎曲異常もなおるというお話があったのでありますが、どなたでも、藤井先生でもよろしゅうございますし、三木先生でもよろしゅうございますが、先ほど参考人の松本さんがお話になりましたようなオステオパシーあるいはカイロプラクチックというものに対する原理と申しますか、御主張でございますか、これは学問的に認めることができるのでございますか、いかがでございますか、承わりたい。
○参考人(三木威勇治君) お尋ねでございますので私申し上げますが、私カイロプラクチックというものの本が日本に来ておることは知っておりますが、実は読んでおりませんので、ただ、今松本さんが言われました半脱臼という意味だけについて先ほど申し上げました。すなわち脊椎骨、脊椎並びにその脊椎に付着しておりまするところの筋などがわずかな力でもし脱臼を起すといたしますならば、われわれは危くてとても歩いていられないと思うのであります。すぐ麻痺が起ったりするはずだと私は考えますので、それは脱臼1いわゆるわれわれが学問的に考えております半脱臼とは違うものであるということを申し上げた次第でございます。
○参考人(藤井尚久君) 私は先ほど申し上げましたように、昭和二十四年、二十五年にいわゆる医業類似行為の調査研究を命ぜられましたときに、業者ともいろいろ話し合いまして、これはサブラクセ一ションという言葉を、カイロプラクチック並びにオステオパシーの方で言っております言葉をただいま半脱臼とおっしゃいますし、ある本には、亜脱臼と書いてあります。実は私はそれを研究するために実は資料を渉猟したことさえあるのであります。ところがそんなものはレントゲンに写るようなものではないのであります。それはわずかな筋肉の緊張のアンバランスないしは矯正によります脊柱の曲りという意味で、私はこのごろはやりのストレス、ストレインの学説に準じまする、ストレイン、いわゆるひずみという意味に解して業者の意をくんでやったのであります。これは決してレントゲンで見るとかあるいは具体的にこうだと証明せられるものではないのであります。従って整形外科とははなはだ縁の遠いものであります。どちらかといいますと、神経症にやや近い観念を持つものと私は思っております。
○榊原亨君 今後この法律を審議いたす上において非常に重要なことでございまするが、全国療術協同組合理事の松本さんは、ただいま三木先生あるいは藤井先生のお話しになりましたことをお認めになるのでございまするか。あるいはそれはその先生の言うことはえらくともそれは違うのだ。こればかりは違うのだと御主張になるのでありますか。その点だけをはっきり。

○参考人(松本茂君) ただいま三木先生から私の申し上げました脊椎の狂いということについてのお話がありましたが、私は半脱臼ということを申し上げません。しばしばこのカイロプラチックにおいてただいま藤井先生がおっしゃいましたこの狂いというのはサブラクセーション、これはわずかの亜脱臼である。脱臼という言葉々使うことは当らないぐらいのものなんです。それでことに半脱臼なんかを脊椎がしたならば、これはとうてい人間は生きていないだろうと思うわけなんです。それでただいま藤井先生がおっしゃいましたひずみ、ほんの少しの狂いなんです。その脊椎のわずかの狂いで、レントゲンで見ればやはりわかるということを、先刻の浪越参考人はアメリカで見てきたということを申しましたが、私はただ本と師匠によってこれを技術と理論を習ったのでありますが、脊椎がその一カ所においてはほんのわずかな狂いなんですが、三個以上も狂ったときには大きな彎曲のあることは、これは医学者においてははっきりと御認識があり、その他の人のからだを扱う人であったならばおわかりだと思うのです。それが一カ所にあるときに、それをかりに転位と私たちは呼んでおります。脱臼という言葉は当らぬと思うぐらいなんですが、そういうわけで、アメリカにおきましてはこれを……。
○榊原亨君 お話し中ですが、私のお聞きしたのは、藤井先生あるいは三木先生方のおっしゃったことをお認めになるかどうか。それだけをはっきり、それでいいのです。時間がありませんですから。
○参考人(松本茂君) それは私たちはそれ右認められないわけなんです。
○参考人(藤井尚久君) ただいま浪越参考人からいろいろお話がありまして、試験を受ける、受けない、これは非常に事が大きい問題であります。しかしながら、その前に前提か私は抜けておると思うのであります。この試験はどういう試験かという問題すなわち六・三・二・六・三の義務教育を経まして、二年の特殊教育をやりまするが、その試験科目はいかようなことかということであります。それでここにいただきましたのに出ておりまする教科目の中に、あんま理論と書いてあります。あんま実技と書いてあります。そうすると今度の法令改正で「マッーサージ及び指圧を含む」という、そのマッサージと指圧はこれは全然入らぬのでありましょうかどうですか。これ壱一つ厚生当局にはっきりしていただきたい。
 それから私は二回医師の国家試験もやりましたし、あるいはまた看護婦試験などにも関与したことがありますが、それでこういう技術者試験には前期試験、後期試験、いわゆる理論試験、学術試験と実地試験とがあるわけであります。それでおそらくそういうふうになさるものと思いますが、その点をはっきりしていただきまするというと、今浪越君の言った問題もおのずから氷解すると思います。ともに六・三・二の予備的医学知識夕試験するのでありましたならば、あんまもそれからマッサージも指圧も一緒でいいわけであります。また別々にやる必要――冗費が伴いますし必要がありません。実地試験だけであんまを標擁したいという者はあんまだけ、あるいは指圧を標榜したい者は指圧だけ、あるいはマッサージを標榜したいという者はマッサージだけ、ともかくも三者をすでに第一条に許した以上は、ここに実地試験において別個にするというふうにしたならば、これは浪越君の言われたことがおのずから氷解するのじゃないかと私は考えます。これはただ実地試験だけであります。単科試験は六・三・二という基本が出ておりますから、これは同等であっていいわけであります。ありますから前期試験、後期試験  必ずや前期試験、後期試験はあるべきものと思います。技術試験は厚生当局の答弁にありますように、技術者の試験は全部ただいまそういうふうになっておりますが、それは理論は共通である、これは医学常識にあるわけであります。というのは、こういつた営業類似行為を行いますについての基本の知識でありますから共通はけっこうであります。しかも六・三・二でありますから。しかしながら実地試験というものは、学術試験を及第したものにのみ課せられるものであります。かくして免許が与えられるものであります。その実地試験を三者別にやるか、また教科目の中にマッサージ理論と書いてありますけれども、この三つを加えて下されば今までの問題が解消せんかと私は思うのであります。
○委員長(小林英三君) 委員各位にお諮りいたします。参考人に対する御質疑及び本件に関する審議はこの程度にいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(小林英三君) 御異議ないものと認めます。参考人の諸君に委員会を代表いたしましてごあいさつをいたします。諸君にはお暑いところ長い間貴重な御意見を拝聴させていただきまして大へんにありがとうございました。ここに委員会を代表して感謝をいたします。本日は、これにて散会いたします。
   午後五時二十五分散会

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